修武台記念館ツアー

修武台記念館は、日本陸軍の航空士官学校だった建物。入間の航空自衛隊基地の中にあります。
事前に申請してOKを取ればツアーや自由見学で中を見ることができます。
今回は妹、このブログでいうところのfuyunoBと、修武台記念館ツアーに参加してきました。
元陸軍の建物とはいえ、中は、海軍航空隊の展示もたくさん、桜花が展示されていたり、もう見所たくさんで見学時間が全然足りない~!90分では足りない!写真撮りまくり!

これで無料とは!
 

しかし・・・修武館および入間基地内で撮影した写真は一切、ブログやSNSにアップできないルールになっております・・・。

すごく貴重な写真がたくさん撮れたのに残念ですが・・・中で撮影した写真はこのブログに載せられない・・・。
ということで、私が目にしたもの、ツアー中伺った貴重なお話を中心にご紹介させて下さい。


修武台記念館は入間航空自衛隊基地の中にありますので、最寄り駅は西部池袋線の稲荷山公園駅になります。南口です。

 

鬱蒼とした木々に囲まれた道を少し歩くと航空自衛隊の稲荷門口に着きます。迷彩服の自衛官の方々が門のところにおられます・・・。ブログにアップできる写真はここまで・・・。


中に入ると、バスに載せられ、修武台記念館へ。つまり、自由に基地内を歩き回ることはできません。途中で撮影もできません(帰り道、飛行機などをちょっとだけ撮影してもOKの場所はある)
やはり、現役の基地ですからセキュリティは厳しいです。

修武台記念館とは
陸軍航空士官学校が、陸軍所沢飛行場内にできて、昭和16年に昭和天皇が訪れ、昭和天皇より「修武台」の名称がついたそうです。その陸軍航空士官学校の建物の一部を補強しながら現代まで残して、修武台記念館として、許可された見学希望者のみに公開しています。
普段は航空自衛隊の研修・教育に使われているそうです。
航空自衛隊による修武台記念館の紹介ムービーのURLを貼っておきます。

 

https://www.mod.go.jp/asdf/iruma/kouhou/public_kinenkan/index.html
 

本当に、中は見ごたえあります~。陸軍と海軍の航空隊の歴史をパラレルに展示していて涙物です。

リアルな桜花
そして、ここだけで見れる、禁断の特攻兵器、人間ロケット爆弾、桜花の現物。
いや、もう、なんか、すごい迫力です・・・。靖国神社の遊就館に吊り下げられている桜花レプリカとは全然違います・・・。

 

↑これはレプリカ桜花。修武台記念館の桜花とは違います。(写真はWikiからお借りしました)


桜花って小さい、小さいって思っていたけれど、現物を見るとけっこう大きいと思いました。そして、細長い。

形が、もう飛行機じゃないんです。完全にロケットだ、ミサイルだと感じました。

この桜花を目にした桜花搭乗員の若者達は、どう感じたのだろうか・・・。

人間ロケット爆弾という言葉が、不幸にもぴったりくるシロモノでした。
こんなシロモノに二十歳そこそこの、いや、時には十代の若者を乗せたんかいっ!?って、桜花を考案した大田特務少尉、そして、桜花作戦を決行したヤツラに、改めて怒りを覚えますねえ・・・自分が乗ってみたらどうや!?って思いますねえ。
 

戦争末期、桜花の部品を作っていたのは航空廠の人達だけでなく、女子学生も動員されて厳しい生産ノルマを課されていたそうです。戦後、桜花機体の修理の際、桜花の先端覆の裏に鉛筆やケガキ針で詩が書かれているのが発見されました。
「心鷲一億の心ひとつに・・・」
「・・・今頃は太平洋の魚のエジキだ」
と書かれていたそうです。
どんな気持ちで、どんな人が、書いたのでしょうねえ・・・。
 

現物の桜花を見ると、ほんと、胸に迫るものがあるのですが。
私が目にした桜花の写真を載せられないから、せめて、高宮茜さんが桜花について歌った『桜花』のYoutube動画を貼っておきます。

 


今だ 切り離しておくれ
逝けよ
桜花
逝くなら体当たりで
桜花
咲かせよ 散りゆく花を
逝こうか
部品となったこの身と
停止された魂は
どこへ向かおう
(高宮茜作詞作曲『桜花』の歌詞の一部)


「部品となったこの身」
特攻兵器はすべてが残虐非道ですが、桜花は特に搭乗員の命や心まで、兵器の部品として使ったことが、最も非難されるべきで、最も反省を請うべきだと思っています。

桜花については「野中五郎編」でいろいろ書いております。

 

 


51年ぶりに発掘された屠龍
一部溶けた陸軍の戦闘機、屠龍の機体の一部が展示されていました。
この屠龍には、切ないストーリーがありました。

↑屠龍。(写真はWikiからお借りしました)

 

1996年(平成8年)9月千葉県八千代市神久保で、墜落して埋もれた屠龍が、戦後51年目にして発掘されました。

操縦士、小林雄一軍曹(20歳)と、通信士、鯉渕夏夫兵長(18歳)が乗っていたとわかっています。

二人は、昭和20年1月27日に東京に来襲したB29の大編隊を迎撃するために水戸陸軍飛行場から飛び立ち、B29に体当たり攻撃、撃墜しました。しかし小林機は火を噴き急降下、民家に墜ちることを避け急旋回して、水田深く突入してしまい二人とも戦死。

防衛総司令官だった東久邇宮稔彦王殿下から二人へ感状が授与されました。それぞれ全軍布告で少尉・准尉に特進。少年飛行兵出身です。

戦後、地元の人々と少年飛行兵出身者の熱意が八千代市を動かし水田を掘り起こし、2人の遺骨と遺品、屠龍機体を発掘して、慰霊祭が行われました。その屠龍の機体が修武台記念館に展示されていました。
お二人の写真も展示されていましたが、爽やかな細面の青年でした。
51年という長い年月がたっても、二人のことを忘れなかった地元の人達と少年飛行兵出身者たちの切ない思いが胸を打ちます。
そして、屠龍の機体のどろどろの溶け具合が、機体を焼いた炎の物凄さを語っています。

ガイドさんのお話で知ったのですが、漫画家の松本零士さんのお父様は屠龍に乗っていたそうです。

松本さんのお父様が太平洋戦争中戦闘機パイロットだったとは知っていたのですが、陸軍パイロットだったのですね。

終戦後、戦争中パイロットだった人達が、航空自衛隊に入っていった例が多かったけれど、お父様は「敵に教わるなんてありえない」として、自衛隊に入るのを断ったそうです。その頃、航空自衛隊に入って戦闘機の操縦の練習するってことは、アメリカ軍の教官に教わるってことでしたから。

戦後にジョンソン基地になる
終戦後この陸軍所沢飛行場は、アメリカ軍が占領し、ジョンソン飛行場と名付けられます。横田にもアメリカ軍は基地を置いたのですが、横田とジョンソン(所沢)の違いがわかる道路標識として、アメリカ軍は桜花を置いたそうです・・・。

さらしものになってる・・・。どこまでも、悲しい桜花です・・・。
 

そして、所沢飛行場内にあった航空神社は、今は、向いにある東京家政大学の敷地内にあったそうですが。どうなっているか不明。アメリカ軍が進駐してきた時、アメリカ兵達は、航空神社の鳥居にネオンやライトをつけて兵達のクラブにしていたそうです・・・。
航空神社って、その航空基地で殉職・殉難した人達が祀られているはずなんですけど・・・。
海軍の厚木航空隊で、終戦後、アメリカ軍がやってくる前に、厚木飛行場にあった航空神社を深見神社に遷した西沢良晴大尉、やっぱりグッドジョブでしたな。

 

 


初めて日本の空を飛んだアンリ・ファルマン機
1910年、150年前に、初めて日本の空を飛んだフランス人のアンリ・ファルマンの飛行機が格納庫に展示されています。

布と木で作られている・・・。木の椅子に二人で乗って飛ばすのですが。これ、むちゃくちゃこわいです!コクピットもなにもない。ただ飛行機の中央部に椅子があってむきだし。ここにちょこっと座るだけなのです・・・。安全ベルトもなかったとのこと。

↑同種のファルマン機。(写真はWikiからお借りしました)

 

ファルマン先生と一緒に飛んだのが徳川好敏少尉(当時)の勇敢さがすごいわ・・・。

ちなみにこの徳川さんは清水徳川家第8代当主だで、陸軍士官学校卒だそうです。後には航空兵団司令官や、陸軍航空士官学校長を務めています。日本航空界の父と呼ばれているそうです。
 

日本で初めてアンリ・ファルマン機が飛んだのが所沢の空だったということで、所沢は日本航空発祥の地として、いまや飛行機の町になっております。
修武台記念館を見た後、私達は所沢の戦跡めぐりにも行っておりますので、飛行機ワンダーランド、所沢の魅力を次回はご紹介したいと思います。

他にも、太平洋戦争中の戦闘機エンジンの展示や、海軍&陸軍のミニチュア戦闘機全種類の展示や、海軍&陸軍&航空自衛隊の航空隊員の制服展示や、加藤隼戦闘隊の特別コーナーや、もう、山のようなお宝展示だったのですが。
残念だなあ、写真を載せられないので、皆さんに、このレア&プレシャスなお宝をシェアできなくて・・・。

 

↑クリアファイルなど、素敵なお土産を頂けます。

ところで。
稲荷山公園いったり、所沢いったり、航空公園行ったり・・・。西武線に乗り降りするなら、西武線1日フリーきっぷを購入することをお勧めします、特に2名で出かける人。2名だと1人1000円でこの1日フリーきっぷを購入できます。池袋から稲荷山公園まで片道だけで700円超えるので、絶対、この1日フリーきっぷがオトクです。


稲荷山公園から西武池袋線で所沢まで戻り、所沢戦跡ツアーをする前に、所沢駅ビルで腹ごしらえ。


「さち福や」という定食レストランで、鰆の西京焼きセットを食べました。大変おいしゅうございました。

そして、この後、飛行機の町、所沢を巡るのですが、いや~所沢、ハンパないです・・・。すごかったです。こんなに所沢が面白い場所だったとは!私はびっくりしました。

(所沢戦跡訪問に続く)

 

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