(中編から続く)

 

この槍使い難し
五郎さん、神雷部隊の飛行隊長に任命されてどういう気持ちだったでしょう・・・。
五郎さんは、神雷部隊の隊員達を労わり、励ましながらも、桜花にははっきりと反対していました。五郎さんは自ら桜花を細かく観察し分析して、実際に桜花をぶらさげて一式陸攻で訓練してみて「無理だ」と実感したと思います。「この槍使い難し」と上官や同僚にはっきりと言っていました。「桜花の使用を止めさせてくれ」と周囲にも言っていました。

特攻兵器開発とは別に、昭和19年10月から、爆撃機や零戦が敵艦船につっこむ特攻作戦が始まっていました。

当初は特攻攻撃にパニックになり慌てたアメリカ軍でしたが、特攻攻撃に対する防御態勢を敷き、対空砲撃を強化し、レーダー網も強化することで、日本の特攻攻撃の無力化を狙いました。
防御態勢を鉄壁にしたアメリカ艦隊に、いくら零戦が掩護してくれるといっても、重い桜花をぶら下げて一式陸攻で近づくことは非現実的だと、五郎さんはわかっていたでしょう。
桜花に乗り込む年若い搭乗員達のことを思って、心の中で泣いていたことでしょう。
桜花を切り離して発進させた後、母機である一式陸攻は帰還するよう命じられていましたが、五郎さんはその命令をどう思っていたでしょうか。

 

【追記】(2025年5月11日)

神雷部隊飛行隊長をしていた八木田善良大尉の手記「されど桜花ふたたび祖国に還られんことを」『海軍攻撃機隊』(潮書房光人社)を読んでいたら、八木田さんが野中五郎さんから言われた言葉が記されていました。

五郎さんは八木田さんを隊長室に呼んで、しみじみとこう言ったそうです。

 

「俺はたとえ国賊とののしられても、桜花作戦は司令部に断念させたい。もちろん自分は必死攻撃を恐れるものではない。しかし、攻撃機として敵まで到達できないことが明確な戦法を、肯定することはいやだ。クソの役にも立たない自殺行為に、多数の部下を道連れにすることは耐えられない」

 

「司令部では、人間爆弾桜花を投下したら飛行機隊はすみやかに還り、ふたたび出撃だといっているが、きょうまで起居を共にした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら、自分らだけが帰れると思うか。俺が出撃を命ぜられたら、桜花投下と同時に、自分も飛行機もろともに別の目標に体当たりをくわせるぞ」

 

八木田さんも桜花作戦に疑問を持っていたので、尊敬する五郎さんの言葉にうなづいたそうです。

しかし、それが、八木田さんと五郎さんが交わした最後の言葉になったそうです。

やはり、五郎さん、桜花を出撃させた後の覚悟を決めていたのですね。

そして、神雷部隊の隊長に任命されているけれど、桜花作戦は無謀だと反対していたのですね・・・。

湊川だよ
昭和20年3月21日、次は沖縄と攻めて来る九州沖のアメリカ機動部隊を叩くため、五郎さんの神雷部隊に出撃が命じられます。

しかし、その前の九州沖海戦で零戦の被害がひどく、掩護の零戦は32機しか出せませんでした。この掩護零戦機の少なさでは出撃は無理だと思った岡村司令は作戦中止を考えますが、上官の宇垣纏司令官に作戦断行を指示されます。それなら俺が行こうと一式陸攻に乗り込む決意をする岡村司令でしたが、五郎さんに「お断りします!」と言われます。そして、五郎さんは神雷部隊を率いて出撃します。
出撃の際、五郎さんは「今日は湊川だよ」という言葉を残します。
楠木正成の湊川の戦いを指した言葉ですね。死ぬとわかっているけれど、死ぬことで、何かを残す。そういう意味だと思います。
野中一家、中攻18機(そのうち15機に桜花をつるしました。つまり、桜花隊員が15名いたということです)、掩護の零戦隊32機が飛び立ちます。しかし、故障で途中で引き返す零戦も多数出ました。


そして・・・この日の神雷部隊の戦果はゼロです。全滅しました。
 

圧倒的な敵戦闘機隊に迎撃され、掩護の零戦は散らされ、裸になった桜花をぶら下げた一式陸攻に敵戦闘機の大群が襲いかかります。五郎さん達は仕方なく桜花を落として戦おうとしますが、一式陸攻では、大勢の高性能敵戦闘機に太刀打ちできるわけがありません。出撃した神雷部隊、全滅でした。
ぼろぼろになってやっと帰還した1~2機の零戦の搭乗員が、五郎さんの隊の全滅を岡村司令に報告します。
 

この最後の出撃の際、五郎さんは最後まで一つの打電も司令部にしていません。一式陸攻には発信機がついていますが、五郎さんをはじめ、18機の一式陸攻すべてがまったく沈黙したまま全滅しました。
「ワレ突撃ス」とか「ワレ空戦中」とか「敵見ユ」とか、なにか発信しそうなものですけども、18機すべての陸攻が沈黙していました。司令部に一言も残さず、九州沖の空に散りました。敵機に撃墜されて打電の暇はなかったという可能性もありますが・・・。
私はこの「沈黙」は、五郎さんがあえてしたことのように思えてなりません。
 

司令部に何をいっても無駄だ。桜花作戦は何も結果を出さないと知れ。

俺は、神雷部隊のこいつらと一緒にあの世に行く。

こいつらと、どこまでも一緒に行ってやる。

俺達の最後の会話は、俺達だけのものだ。

 

そう伝える「沈黙」だったような気がしてなりません。
 

板倉光馬氏は『不滅のネービーブルー』の中で書いています。
 

「彼の炯眼には、すでに敗色歴然たるものが映っていたであろう。軍人として死所を得るは本懐であり、拒む筋は毛頭ないが、でき得るならば昔とった杵柄―一式陸攻の夜戦雷撃で一泡吹かせたかったにちがいない」

野中五郎、戦死後二階級特進で大佐。

桜花に人間を乗せて攻撃させることを決定した軍上層部の人たちは、その責任をどう考えていたのでしょうか。

五郎さんの上官だった神雷部隊の岡村基春司令は、終戦から3年後、自ら命を絶っています。


アメリカ軍は日本の航空機にコードネームをつけていました。零戦がZeke(ジーク)、一式陸攻がBetty(ベティ)、九九式艦上爆撃機がVal(ヴァル)。

そして・・・桜花に対して、アメリカ軍がつけたコードネームは「BAKA」(バカ)です。

追記その1
実はあの菅野直大尉の隊が、桜花の掩護隊になったかもしれないのです。
笠井智一著『最後の紫電改パイロット』によると、昭和19年12月菅野さんの隊は横須賀に集められ二五二空に編入され、秘匿特攻兵器マル大による攻撃の直掩を紫電で行う任務を受け、紫電の操縦訓練をしたそうです。笠井さんは「マル大ってなんだ?」と思い菅野隊長に頼んで見せてもらいました。一式陸攻にぶら下げられているマル大(後の桜花)を見て、「着陸装置はなく、完全に生還を期さない構造になっていた」「ただでさえ足の遅い一式陸攻に乗せ、かりに目標に到達できたとしても、一トン爆弾を積み小さな翼をつけたロケット推進などで本当に特攻など可能なのか」と笠井さんは思います。この笠井さんの感覚が、平時のフツーの人の感覚だと思いますねえ。
(菅野さんの隊は、その後任務が変更になり、紫電改部隊に呼ばれて二五二空を去りましたが。)

追記その2
靖国神社の遊就館の展示室には、桜花レプリカが天井から吊るされています。艦上爆撃機の彗星の上に。桜花の小ささがよくわかります。

そして神雷部隊のジオラマもあります。零戦、一式陸攻、桜花の出撃の様子がジオラマで再現されています。物凄い熱の入った展示になっています。


そして、靖国神社のお庭には、神雷部隊の生存者が植えた「神雷桜」が、毎春、花を咲かせています。

 

 


野中五郎を描いた映画
『花の特攻隊 あゝ戦友よ』
「霞が浦海軍航空隊」でも紹介しましたが。この映画の後半は桜花の話です。主人公の予備学生が桜花の搭乗員となり特攻します。野中五郎という名前ではありませんが、どうみても野中五郎さんですよね?という指揮官と、野中一家を彷彿とさせる一式陸攻の部隊が登場します。
アマゾンプライムビデオで、プライム会員ならば追加料金なしで見れます。

松本零士原作のアニメ『音速雷撃隊』
桜花の搭乗員と、桜花を運ぶ一式陸攻、そして掩護の零戦隊、それから対峙するアメリカの戦闘機隊。様々なアングルから桜花の攻撃を描いた傑作短編アニメ。よーくできた傑作アニメだと思います。これを見ると、いつも泣いてしまう。
私はYouTubeチャンネルの「学校は教えてくれないッ!」で見ました。

野中五郎を知るためにお勧めの本

板倉光馬著『不滅のネービーブルー どん亀艦長海軍英傑伝』の「中攻隊の至宝」(光人社NF文庫)
板倉氏は五郎さんの海兵クラスメートですし、板倉氏も戦争末期特攻兵器回天の隊長に任命されているので、五郎さんの心情はすごくよくわかっていたのではないかと思います。
 

 

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