当然ネタバレがあるので、困る人は今すぐブラウザバック(死語)。
「いや何のネタバレなのか分からんて」と思った人は大丈夫。素質あるよ。
まずはじめに、少し前に話題になっていたツイート。
推しのVtuberさんが「ゲーム配信のネタバレコメント」に苦心しているのを見て、
— げんげん【げんげん】 (@shonen_gengen) August 11, 2021
幼い頃からゲームばっかり遊んでいる、先日までゲーム業界に勤めていたおっさんが思う「ネタバレについて」
をクソ長文にしてみました
最初と最後のページだけでも、誰か一人くらいのリスナーさんの目に留まったら幸い pic.twitter.com/wlmEGO6WZq
このツイート内容を見て「いやいやそれは厳しすぎるでしょ」と感じたアナタは、
これまで知らず知らずのうちに出会ってきた沢山のネタバレやめてくれ派から
心の中で何度も「死ね^^」と思われている。良かったな命拾いして。
お前がいま生き永らえているのは彼らの温情によるものだ、泣いて感謝しろよ。
つまりこの投稿内容は、ネタバレに関して緩く、とても甘い。
というよりも、投稿者自身は本当は「本質的なネタバレ」について語りたいが、
ツイッターへ投稿するためあえてやんわりとした表現や例えに留めている印象を受ける。
では何故そのような事をする必要があるのか?
結論は既に出ている。
「正解」かどうかはともかく、「解」はハッキリしているのだ。
ネタバレをネタバレと思えない人に
ネタバレを理解させるのは無理
これはもう、諦めるしかない。無理。
特に、動画配信やSNSなど不特定多数が関わる媒体において、
できるだけ規制せず、うまいこと配慮しながら棲み分けよう…なんて段階は
とっくの昔に切り捨てられている。古事記にもそう書いてある。
私もこれまでいくつものゲーム配信を見てきたが、
配信者が概要欄などで懇切丁寧に「ネタバレ厳禁」であると説明し、
プレイ中も必死にネタバレを見て見ぬフリをするといった
涙ぐましい努力を数多く目にしてきた(というか現在進行形でしている)。
それでもなお、残念ながらネタバレは絶対に無くならない。
それは何故か。
場面・環境にもよるので一概には言えないが、
今回紹介したツイートと同じく、ゲーム配信の初見プレイを例に挙げるならば、
その最大の理由は、
ネタバレコメントをしている視聴者の大半が「100%善意」でネタバレしていて、まさか「自分のコメントで配信者が苦心してる」なんて微塵も思っていないからである。
配信は盛り上がり、配信者も視聴者も一緒に初見プレイを楽しめている。
自分はその一端を担っている。ネタバレに配慮した応援もできている。
こんなに幸せなことは無い。
カタカタカタ(配信御礼ツイートにネタバレのリプ)。
打つ手なし、である。
そしてこの善意100%ネタバレコメント視聴者の真に恐ろしい点は、
自身が既プレイであるそのゲームに対して「初見はネタバレ厳禁でプレイしたほうが絶対楽しめる」と本気で思っていることだ。自らがその思いを踏みにじっているというのに。
なんて悲しいすれ違いだろうか。
■ではそもそも、何故多くの配信者は「ネタバレ厳禁」を掲げるのか。
それは先のツイート投稿者も述べているが、
配信者自身がネタバレ無しで初見プレイを楽しみたいとか、
完全初見にしか生み出せない反応・感動を共有したいという理由もあるにはあるだろう。
しかし、実際にはそれだけには収まらない。
ネタバレによる最大の悪影響は、
何がネタバレに該当するのかをおよそ理解し配慮している視聴者が、ネタバレコメに苦心してる配信者を見るのが辛くなり視聴を止めてしまうのだ。
ネタバレを理解し、その配信を楽しみにしているが故に、配信者が運悪く重大なネタバレコメントを拾ってしまうと、「もしあのネタバレコメが無ければ、配信者も初見の視聴者もこんな感じで驚いたり感動したりしただろうにな……」などと別の世界線を想像し、夜な夜な枕を濡らす。
さらに、そのネタバレをしているのがメンバーシップ会員だとよけいに辛い。
生粋のファンによる、決定的な致命傷。まさに善意100%。あまりにも不憫。
そうなるともう、続きの配信はとても見ていられない。
そんな悲劇を防ぐためのネタバレ厳禁であり、配信マナー・注意事項なのだが、
先に述べた結論通り、絶対にネタバレは無くならない。
どうあがいても絶望である。
■さて、ここまでネタバレが無くならない理由とその影響について述べてきた上で、
いわゆる「ネタバレ容認派」には絶対に理解されない「ネタバレの本質」について、
私の考えを少しだけ紹介する。
繰り返しになるが、理解されないと分かっているので、気楽に見て欲しい。
① 公式による情報はネタバレである
例えば、公式の予告編・ティザーPVなどについてよく目につくのが、
「公式が公開しているものだからネタバレではない」といった意見である。
しかしこれは、先のツイートにもあるように
ネタバレはあくまで「受け取る側の物差し」であるが故に、
公式だろうが製作者だろうが筆者だろうがネタバレをされる時はされる。
漫画「それでも町は廻っている」では、
公式によるネタバレについて取り上げているシーンがある。
(画像はこちらのサイトを使用しています)
これは主人公・嵐山歩鳥が、楽しみにしていた新刊を購入した際、
公式が付けた帯に書いてあるかもしれないネタバレを回避するため、
目をそらしながら帯を外し、カバーも裏返して読み始めるという説明をしている1コマである。
少しも大袈裟な事では無くて、私もこの歩鳥の気持ちはよく分かるので、
初めて読む書籍では実践してるし、目次も飛ばして本文から読んでいる。
(もちろん、それを他人に薦めたり押し付けたりはしないが)
このような情報遮断、公式によるネタバレの回避・自衛を行い、
自分にとっての初見を最大限楽しもうとしている人は世の中に溢れるほど存在しているのだが、
そのような「事前情報なしで楽しみたいんだよね」という想いに対して、
「予告編やティザーPVを見てからのほうがより本編を楽しめるよう考えられている」
「本当に面白い作品は多少のネタバレなんて気にならない」
などといった苦し紛れの論点ずらしをしてくる輩も存在する。
もちろん、そういう作品もあるだろうし、
本編公開前に部分的な情報から想像を膨らませて楽しめることもあるだろう。
それについての異論はない。見たい人だけ見て語り合えばいい。
でもね、こっちは「ネタバレされたくない」って言ってんだよ。
ネタバレの良し悪しについて議論したいわけじゃねンだわ。
「酒はダメなんでオレンジジュースください」と言う戸愚呂弟に対して、
「でも赤ワインは豚(垂金)に合うぞ」って言うのか?お?(´・ω・)
② 「ネタバレがある」という事はネタバレである
つまり「あの映画だけど、ネタバレになるから、お前が観るまで黙っておくわw」
というようなケース。当然ネタバレである。
このように言われると「
その映画は何らかの伏線・仕掛け・トリック等が明確に存在し、かつ重要である」と容易に推測でき、
実際にその映画を鑑賞する際、心の片隅でそれを探し続けてしまうため、
初見による最大限の楽しみが損なわれてしまう。
「いや~、待望の新刊!初見の人が羨ましい。私も記憶を消してもう一度読みたいw」
SNSでありがちなケースだが、もちろんこれもネタバレである。
■さて、如何だろうか。
ここまでの話は、ネタバレの本質に至るまでの「触り」でしかないが、
既に相当めんどくさいと感じていることだろう。
そう、ネタバレは本当にめんどくさい。
するほうもされるほうもめんどくさい。
特に「ネタバレの程度」については、受け取る本人の中ですらハッキリとした境界線は無くて、
様々な要因で変動し、ネタバレを踏んだ直後はそれがネタバレかどうか気づかない事もよくある。
ただ、決して思い違いして欲しくないのだが、
「無意識にネタバレをするな」などと言いたいわけではなく、
あくまでも常日頃から「ネタバレをしているかも」という意識を持ってみてはどうか?という提案である。
生きていれば誰だって少なからずネタバレをしている。
ミミズだって、オケラだって、アメンボだってしてる(※みんな友達らしいが、私はそう思ったことは1度も無い)。
先の善意100%のネタバレコメントをする視聴者だって、
自分より酷いネタバレコメントや指示コメントを見た時に
「あぁ、さっきの自分のコメントも少しネタバレになっちゃったかもな……」
と気付けたら、それだけでも全然違うのだから。まぁそんなこと滅多に無いんだけど。
そして、公開・販売直後の新作に関して話題を振る時には、
「ガッツリネタバレだけど、話したいから話すね」
と言ってくれたほうがむしろ清々しい。その心意気やよし。
大体の場合は「まぁこの人からなら許容できる範囲で終わるだろ」とOKするし、
どうしても聞きたくなければNOと言うだろうし。
その人に対する信頼度を軸に判断する人が多いのではなかろうか。
その辺りを曖昧にしたままネタバレされるから、
「そうなんだ、観るの楽しみだわ~」と満面の笑みで応えつつ、
(ネタバレ回避を怠った自分が甘かった…)と自戒する人が後を絶たないのである。
ネタバレは、無くならない。
だけど、別々の物差しでいいから、
少しだけ測り合ってみよう。
ネタバレは、あなたと共にある。