Iさんは七十八歳で、寝たきりになって既に四年。週に二回デイサービスに通う以外、することはない。楽しみもなく、病気が良くなる見込みもなく、ただこうやって死ぬのを待っているだけというのが、実感なのだろう。私は医師として何ができるのかと考えたが、実際的なことは何も思いつかなかった。Iさんの絶望と哀しみを和らげる力は、私にはない。
(中略)
老いとは結局、理不尽でも無慈悲でもなく、たんなる自然現象にすぎないのだろう。死ぬ以外に、その苦しみを避けることはできない。それを少しでも楽に、あるいは豊かになどと、人間が勝手に算段しても通用しない。私自身、老いた両親を抱え、多くの老人を診療し、自ら老いの戸口に立ちながら思う。長寿は素晴らしいなどと無思慮に喜ぶ前に、すべきこと、見つめるべきことがあるのではないかと。
久坂部羊「長寿は本当に喜ばしいか」(VOICE 2010.8)
2009-07-26 のマスコミの退潮記事群は特にその傾向に変化ないし特筆すべきことはないかな。むしろ”集積の経済”という言葉を脳裏の片隅に留めおいたほうが有益かと。
「日本で看護師」断念続々、比などへ帰国33人
>候補者は、これまで998人が来日。国内の施設で働きながら勉強し、3~4年の在留期間に国家試験に合格すれば本格的に日本で就労でき、そうでなければ帰国するのが条件だ。しかし、漢字や難解な専門用語が試験突破の壁になり、合格者は昨年がゼロで、今年は看護師3人のみ。あっせん機関の国際厚生事業団によると、中途帰国したのは、今年度来日したばかりの118人を除く880人中、インドネシア15人(うち看護師12人)とフィリピン18人(同11人)の計33人。特に、合格率1・2%だった国家試験の合格発表後に当たる今年4月以降に中途帰国した看護師が計11人に上っていた。(2010年7月9日 読売新聞)
この悲劇に関しては、輸入当初から記している通り終わりまで見届けます。もはや、投げつけるべき罵声コメントもネタ切れ。3~4年間という短期の労働力確保が狙いとバレれば1年で帰ります罠。漢字で介護が出来るならば っDSですよ。
日本発「乳酸菌飲料」が国際食品規格に
>ジュネーブで7月上旬に開かれた食品基準を定める政府間組織「国際食品規格委員会(CAC)」総会で、日本で開発されて普及した「乳酸菌飲料」が、新たな食品の国際規格として採択された。これまで清涼飲料などに区分されていたが、健康に役立つ「乳製品」の1分野に認定されたもので、国によっては消費税などが軽減される見通しだ。食品規格は欧米案が採択されるケースが多く、日本案が採択されたのは珍しいという。
乳酸菌飲料で海外展開もということは、ヤクルト、カルピス、明治乳業、森永乳業、雪印辺りが該当するかな?
>乳酸菌飲料は牛乳などを発酵させたものを原料とした飲料で、ヤクルト本社の「ヤクルト」などが代表的だ。日本政府は1994年から交渉を重ね、ようやく認定にこぎ着けた。海外では食品の課税をCACに準じて決めており、欧州は乳製品を健康食品として優遇しているケースが多い。例えば、イタリアでは、日本の乳酸菌飲料は「非アルコール飲料」に分類され、日本の消費税に当たる「付加価値税」が20%課税されているが、「10%以下に下がる見通し」(大手メーカー)だという。(2010年7月18日03時03分 読売新聞)
乳酸菌飲料とアルコール(”非”としても)が比較されるということ自体に違和感を覚えるよ。もっと日本の発泡酒とか、ノンアルコールビールとか、、、そういう類ならばわかるけれど。結局、”税”主体の分類ということなのかな。
たばこ1000円で「やめる」8割=「絶対やめない」は2%弱-ネット調査
>調査は5月から6月にかけ実施し、約2万1000人の回答を集計。内訳は喫煙者が27.3%、非喫煙者が72・7%だった。現在300円のマイルドセブンが10月から410円になることについて、喫煙者の9割弱が「かなり高い」または「やや高い」と回答。(時事通信 2010/07/25-15:08)
まずはマイルドセブンを生贄に社会実験ということでしょう。総ての銘柄で一斉値上げしなかったのは、その影響の多寡を計るためで賢明でしょう(マイルドセブン単体の売上と、タバコ全体の売上を見ればいいだけですから)。あとこの調査、7割が非喫煙者って随分と非効率な調査しているね。
548 名前:山師さん@トレード中[sage] 投稿日:2010/07/25(日) 17:08:47 ID:s1/jUb1g0
1914年 禁酒令
1917年 ロマノフ王朝崩壊
1985年 節酒令
1991年 ソ連崩壊
嗜好品に制限かけるような余裕のない国は滅びる。
>日医が初めて参院選旧全国区に擁立した組織内候補は74年。続く77年には、福島茂夫氏が日医史上最高の127万票を獲得した。その後も80万票程度を集めて常に2議席を維持し、非拘束名簿式が導入された01年以降も一定の集票力を示していた。
これが日医連の政治力・発言力の源泉。今や、16万人と明示 されるほどにその退潮ぶりが酷い。これもまた医療崩壊のひとつの表れか…。
>07年には武見氏が20万票を割り込んで落選した。今回は、民主公認の安藤高夫氏、自民公認の西島英利氏、みんな公認の清水鴻一郎氏の3人の合計得票でも武見票より1万6000票少ない。同じ医療系業界団体の日本歯科医師連盟や日本看護連盟が候補を1人に絞り議席を確保したのとは対照的な結果となった。(毎日新聞 2010年7月14日)
二兎追うものは一兎も得ずどころか、三兎いや三又かけて大失敗。創価党ですら、絞り込んでいるというのに。これでせっかく民主党とのパイプが売りの医師会長の政治力もまた落ちますな。
▼家族の安定性が損なわれている、という点を詳しく。
▽婚姻の安定性がなくなり、結婚がかつてのように一生ものではなくなったということ。2005年の国勢調査によると、配偶者がいる男性の割合は60代後半がピーク。死別の可能性が高まる70代に低下するのは分かる。ところが60代より下の世代でも男性有配偶率は低下している。40代男性非婚者の4人に1人、30代の非婚者の3人に1人は生涯結婚せずにいるだろうと予測されている。離婚率だけでなく、結婚しない「非婚率」が上がっているからだ。
家族頼みの福祉が、高齢者側の「超高齢化」と家族側の「家族の脆弱化」という二つの事情で持ちこたえられなくなった。追い詰められた人たちが「姥(うば)捨て」「介護殺人」に至る事情は、責められない。
このロングインタビュー1~5まであるのですが、フェミニスト親玉が介護というものをどう捉えているかわかりますので、何度か言及もしていますが「おひとりさまの老後」を読んでいない人にお薦め。何度も書いているように”公”が介護保険制度と軌を一にして、民にできるものは民へ、市場原理導入やらで、社会的弱者向け老人施設を除いて、介護サービスから静々と手を引いたこと、介護の脆弱さ=家族頼みの福祉により悪い形で戻る結末に至ったことは未だに言及せず。
▼戦後の家族の解体が背景にあるか。
▽2点申し上げたい。「かつて家族の介護力が高かった」というのは神話でしかない。これは多くの専門家の共通認識だ。そもそも昔はお年寄りが今のように長生きできなかった。高齢期を迎えるお年寄りがこれほど多くなかった。これが第一。それから、要介護期間がもっと短かった。昔は介護水準も低く「床ずれをつくらない介護」なんてなかった。感染症で簡単に亡くなった。「昔は良かった」なんて、安易に言ってもらっては困る。
この下りは久坂部医師を灯火としている私としても普通に了承。
▼介護保険を「家族革命」とおっしゃっている。
▽10年前に介護保険制度が生まれたのは、こうした流れの中で非常に大きな意味を持つ。私はこの介護保険が実現したことを「家族革命」が起きたと言ってきた。「介護は家族の責任」という常識にずっと支配され、寝たきりの高齢者を世間の目から隠すような社会で、「介護は家族だけの責任ではない、第3者の手を借りていい、高齢者福祉には公的な責任がある」ということを、国民的に合意することでこの制度ができたからだ。これを革命と言わずして何だろうか。その革命を快く思わなかった保守派の人たちがたくさんいることは分かっていた。今でもたくさんいらっしゃるだろう。ただ、意識は現実の変化にあとから追いついた。介護保険のスタート当時、訪問ヘルパーは「家の前に車を止めるな」と言われたものだ。介護の人手を家に入れるのは恥だという意識があったから。今はどうだろう。この10年で人々の意識は確実に変わった。
行政フェミとでも言うべき一面が顕になっています(何度も記していますが、介護保険導入にあたってはこの辺の行政フェミの面々は共犯関係)。現実の変化は、厚労省さまの飴と鞭の使い分けで大量に参入した、介護事業業者が絞め上げられ介護労働者含めて汲々としているさまなんですがね。そして家庭介護せざるを得ない状況に追い戻され、”公”が撤退している分状況悪化しているんじゃないの?という。
▼家族にかわる手だて、介護していく手だてが必ずしも十分ではない現状で、今後そのモデルはどのようなものが?
▽友人カテゴリーのネットワークを持っている高齢者の幸福度が高いことが、研究結果から分かっている。私はそれを「選択縁」と名付けた。選択縁は脱血縁、脱地縁、脱社縁のネットワーク。加入脱退が自由で、強制力がなく、まるごとのコミットを要求しない。「地域コミュニティーの復権」を言っている人がいるが、大きなお世話だと言いたい。地域は近隣共同体、居住の近接をもとにした共同性を指すが、選択性の高い友人というカテゴリーとは違う。私は都市社会が悪いとは思わない。都市とは、プライバシーのまったくない息の詰まるような相互監視のムラ社会から逃げてきた人たちが、望んでつくりあげてきたものだ。関西弁で言うと「気の合わん隣と仲良うせんかてよろしい」という社会だ。
「おひとりさまの老後」を読んでも感じたのですが、上野千鶴子の推奨する道は天国のように見えて、大半の人間には地獄です。それこそ公や家族や地域といった誰でも持っている、あるいは使うべきコミュニティ資源ではなく、自助努力でコミュニティに加入しなければいけないのですから。書籍内で孤独死を迎えないためにおひとりさまが苦悩するさまは穏やかな老後という幸福とは”無縁”ではないのかと。
最近「無縁」という言葉がはやっているが、中世史家の故網野善彦さんがご健在なら、さぞお怒りになっただろう。ベストセラーになった著書の『無縁・公界・楽』(平凡社、1978年/平凡社ライブラリー、1996年)にあるように、土地に縛り付けられた村落共同体とは離れたところ、例えば公権力が及ばない市の立つ場所や神社仏閣の中などで、中世の人たちが築いた関係、それが無縁という名のえにしだ。字面通り「縁が無い」ことを意味するわけではない。無縁の反対語は有縁。わけあってつくる血縁、地縁、社縁などのえにしは、降りるに降りられない。今、それに変わるえにしができつつある。それが「選択縁」というものだ。
この網野氏の”無縁”の説明は正しいが、それをもって選択縁>無縁の帰結とはなりません(キッパリ)
▼老いを迎えて最期をどうしたいかを決めなければいけない世の中になっているのに、意識が追いついていないところに悲劇が起きている。
▽サービスにも消費者教育が必要だ。日本はサービスが商品になった歴史が浅い。特にこういったケア関係のサービスはタダだと思われてきたため、消費者教育が一層遅れた。介護サービスが始まってからの10年間で、サービス提供者側は情報や経験を蓄積したが、利用者側はまだまだ。利用者は今まさに、自分たちが良いケアを受けるためには賢い消費者になるしかないと学んでいる。措置時代とは違い、介護保険で介護サービスの疑似市場ができた。基本的には各種の事業者にイコールフッティングで競争してもらい、消費者が比べて選ぶことを通じて、質の悪いサービスには退場していただく。それしかコントロールの方法はないだろうと思う。問題なのは、自治体が介護施設の供給を制限しているため、選択肢が少なすぎることと、利用料に上限があり、ひとり世帯で終末期を迎えるのに必要なケアをじゅうぶんにまかなえないよう設定されていることだ。家族介護ありきの制度は改める必要がある。(中日新聞 2010年6月10日)
まあ、上野千鶴子は東大教授という安定的ポストそしてこうしたアジテーションを通して得た印税でもって幸福な老後が迎えられることでしょうよ。このインタビューの結論が介護従事者は300万台の給与が得られるべきというものなんですが、どうやったらそれが実現できるのか、あるいはその今の低給与もまたその介護サービスの事業者の競争の中での価格なことに対する言及なし。
<アニメ感想>
金曜
屍鬼 第3話
沙子@悠木碧で大勝利。まさにコロコロと鈴を転がすようなお声で一発で声優名ともども覚えさせていただきました。今後ともとても楽しみ、あとは普通に律子がサービスカット含めて優遇されているのがよくわかりまへん。
- 男おひとりさま道/上野 千鶴子
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
- ▲今、こちらの二匹目のドジョウ本を読んでいるのですが相変わらずですなぁ…良くも悪くも。