宝くじ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

恒例の年末ジャンボ宝くじが発売されている。当たったときにどうしようかのような夢を買っているんだといわれればそれはある種の消費として効用有りなんだろうと思う。だけれど本当に生活に困窮している人が一発逆転を狙って有り金を注ぎ込んだりしている(今、新潟で宝くじ売り場の行列を中継していた)のは、余計なお世話かもしれないがより自らを追い詰めるだけじゃないの?と誰か止めてあげて。

「宝くじは頭の悪さに対する税金である」(ヴォルテール)

宝くじの逆説;合理的には当たると予想できない。当たらない率の方が圧倒的に高い。それでも誰もが外れると予想することは、誰かは当たるという事実と矛盾する。実際には疑わしい推論の鎖が一歩先へ進む。宝くじを買う場合、誰かには当たるのなら当たるのは自分でもおかしくないというのを根拠にする人が多い。(ヘンリー・イー・カイバーグ)

結局、人は苦難にある時ほど地道な遠い道を選択する勇気が必要なんだろうねっていうこと。「祈り働け」という修道院的生活こそが底辺から這い上がるために必要って(私がいっても説得力皆無)ことで勤労というテーマとつながった。


今日でこのブログを公開し始めてほぼ2週間経過。もともと日記をつけていたり文章を書くこと自体が好きなので、苦痛でもない、習慣の延長みたいなものなんだけれどね。