大谷を生む土壌についての試考 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

この記事 の追記からもう一歩先へ試考を巡らせてみる。

とりあえず大谷氏を統合失調症 の疑いの強い人間とネタとはいえ安易に書いた反省からの補足

>Q5:統合失調症の症状はどのようなものですか?

>A5:統合失調症でみられる症状は多彩です。誰かが監視している、誰かが自分をあやつるなどの妄想、現実にはない声に話しかけられたり、命令されたりする幻聴が現われます。混乱した思考とまとまりのない会話や行動、落ち着きのなさ、まとまりのない知覚、感情の不安定さ、感情鈍麻などが現われます。思考内容の貧困化、意欲減退、閉じこもり、注意・集中力の障害などもみられます。

>Q6:統合失調症の診断はどのようにしますか?

>A6:急性期の症状としては1)妄想(妄想気分、妄想知覚、妄想着想)、2)思路の障害(話題に一貫性がなく矛盾や飛躍している)、3)幻覚(幻聴、まれに幻視)、4)自我意識の障害(自分の行動が他に操られている)、5)感情障害(喜怒哀楽に乏しく、無関心、冷淡)、6)意欲障害(根気がなく、怠惰な生活)、7)行動障害(同じ場所に同じ姿勢でうずくまる。空笑、ひとりごと)、8)対人関係(自分の世界に閉じこもる、食事や薬物の拒否)などがみられますが、専門家が診察すれば容易に診断できます。


えーっと大谷大先生の趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき― 「フィギュアマニア」に改めて思う ― (←凄い、戦前世代としてに「空気」の支配を知っているとは思えないハイセンスな題名だ)を検証してみよう。

>この欄でも私は事件について再々、怨恨などではなく、異常な少女性愛者による犯行ではないかと書いて、近ごろ特に目につくいわゆるフィギュアマニアや萌え族と言われる一部の人たちの嗜好に対して疑問を呈してきた。

この部分は単なる大谷大先生の普段からの感情論です。


>逮捕された小林容疑者もやはり携帯電話には、幼女の裸体の写真や動画が数十枚も入っていたと言われるし、その類のビデオも多数押収されている。ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。

この部分は京都新聞電子版 がソースかな?

>「雑誌やビデオで幼女に興味を持った」。供述を裏付けるように当時も自宅からビデオやコミックが発見された。(共同通信)

ただ、この部分からは幼児性愛者であるとことは予測されても、フィギュアマニアや萌え族(←こんな用語初めて聞いたよ)ではないが、どうして「ほら、言った通りだ」になるのだろう?どういう論理を用いているのか教えて欲しいです。


>ただ、私が事件直後からそうした性愛を容認するどころか助長するような社会に歯止めをかけるべきだとコメントしてきたところ、その手の嗜好を持つ方たちから事務所あてに抗議の電話やメールが殺到。加えて配達証明つきの公開質問状まで送りつけられてきた。この点についてはっきりさせておきたい。

>もとより私は人の趣味は自由だと思っている。だが、公開質問状での「その類の嗜好についてきちんと取材したのか」という指摘を待つまでもなく、実際に大阪の日本橋など、マニアが集う場所も取材してみたし、インターネット上でのやり取りも見せてもらった。そこにあったのはここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いものだった。

>そうした趣味の人たちから寄せられる抗議の大半は、それらの趣味の中にも種々あって、それぞれ傾向が違う。なのになんでもかんでも一緒にするな、というのがまず一つ。もう一つは、あくまでバーチャルな世界のことであって、そのことと犯罪は結びつかないというものである。

>だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。もし、欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている。

>今回の事件で被害にあった女児は一体、自分に対して何が目的で、あのような目にあわされたのか、まったくわからないまま亡くなって行ったのではなかろうか。社会がそんな被害を未然に防ぐために努力するのは、いわば当然のことではないのか。

>それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか。

>利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない。

一連の段落の中に突如絶対的な犠牲者である女児を挟み込んでいる。利己と自分しか目に映っていないのは一体誰なのだろう。自分の知識・理解能力のなさを正当化するために論理や情報ではなく感情論を持ちこむなど下の下だ。それを除いてしまえば、フィギュア、萌え族を断罪する論理は一つも見出せないのですが。やっぱり統合失調症なのか?

その他冷静な考察として切込隊長ブログ「改めて大谷昭弘氏のコラムを読んでうんこ度合いを再確認した」 電網山賊「フィギュア萌え族 Strikes Back」 を参照のこと。



で、ここからはそのような妄言が正義のごとく罷り通る土壌を試考。

まずは叩き台として第5回「犯罪 町の安心を取り戻せ」 を上げたい。

>様々な統計データをもとに作られた地図“データマップ”を手がかりに、世界の今を見つめるシリーズ。5回目のテーマは犯罪。今、世界の都市で犯罪が増え続けている。日本の犯罪増加率は、5年間で55%。先進国の中で最も高い伸びを示している。特に目立つのは、都市よりも地方での増加率が高くなっていることだ。中にはこの10年で20倍に伸びている町もある。交通網の整備や住宅地の開発、商業施設の進出など、町の発展で犯罪を呼び込む要素が増えたのに、住民の防災意識が変わっていないケースが目立つ。 日本と同様、犯罪が増加しているイギリスは、犯罪抑止の切り札として、大量の監視カメラの普及をすすめてきた。しかし犯罪は一向に減る気配を見せず、監視カメラの効果が疑問視されはじめている。

一方、日本とは対照的に、この5年間で犯罪を12%も減少させているのがアメリカだ。特にニューヨークやロサンゼルスで減少が目立つ。その秘密は事件の発生地点や時間を詳細に記録した犯罪地図を使って、犯罪を徹底的に分析する独自の手法にあった。犯罪と格闘を続ける世界の国々。データマップを読み解く中で、犯罪を減らすには何が必要なのか、その手がかりを探っていく。

要は、日本で犯罪が増加しているということ。そしてそのことがもたらす意味についてはこの記事 で考察した。

高度経済成長、今日より明日という皆が単一神話を信じていた時代において、犯罪の理解もどんなにか容易かったことだろう。犯罪を犯すものは一時的な激情や個人的な恩讐を除けば、基本的には競争の敗者、落伍者であるとすれば皆がそれで納得できたのだから。この場合、実際にどうかということではない、大事なのはいかに説得力をもちうる言説を紡げるか、その異物を社会の理解の範疇内に繰み込むことだ。

しかし、今や「階層化日本と教育危機」において苅谷剛彦教授が明らかにしたように、競争システムに対し静かに外部へと下りる人が多数を占め始めた社会においては上記の言説は明らかに失効している。

すると報道において犯罪報道というものが一定の需要と供給を保っている以上新しい言説を編み出す必要性が生じる。そしてその要因もこれまで見当たらない何かである必要があるので、比較的新しい現象としての「萌え」に目をつけた大谷氏のごとき妄言が生み出されるというわけだ。重要なのは科学的事実による裏づけとかではなく、大谷氏自身が言うようにまさに「社会が決めるのだ」。

しかし、今や加害者個人の内面を物語でもって理解しようというなど愚の骨頂という意見が持ち上がりつつある。

>「犯罪の原因ではなくて犯罪の機会に注目するアプローチです。犯罪の原因はあっても犯罪の機会がなければ犯罪は実行されません。機会なければ犯罪なしです。」
                       小宮信夫「安心な街に」

私も加害者個人の内面うんぬんするより遺伝子診断(ただし、あくまで遺伝子決定論ではないよ。どのような配列が犯罪行為発生の危険性を高めうるかという確率の問題だ)の方が遙かに役に立つだろうと考えているし、今の治安第一の風潮からはやがては実現するだろう。

しかしたとえそうなったとしても物語の創作活動は終わらない。それは教育問題と同じで皆が関心があり、なんらかの一家言があるからだ。