言霊 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

まだ、頭痛が治まらない。熱は出ていないが、今度は気持ちが悪くなってきた_| ̄|○

「大和の国は 皇神の厳しき国 言霊の幸はふ国 と語り継ぎ 言い継がひけり」
                              万葉集

日本では古来、言葉には現実をも左右する力が宿ると考えられてきた。今でも受験生に「滑る」「落ちる」が禁句となっているように「忌み言葉」として冠婚葬祭時にしばしばその名残りをみることができる。今回は言葉の使い方に関する試考。

先日の「中川、安倍報道の自由侵犯」もしくは「朝日歪曲報道」の争いが泥沼化してきた。おそらく真相は両者の中間点に近いのではないかと推測している。

中川、安倍氏が番組内容について不快の念を洩らしたことは事実だと思う。両者の頭の中身の素朴さから推測するに、「報道の自由」とか全く分からないで単に感想を述べたに過ぎないという認識だろうが…。

一方、事なかれ主義のNHK上層部は連日の右翼等の脅迫等もあり、番組内容の改編を望んでいた。しかし、そんなくだらない理由では、「編集の自由」(←法学的には憲法第21条「表現・出版の自由」から導き出される点で「報道の自由」と同等の権利)という正論を盾にする番組作成スタッフを説得できなかった。そこで政治家の圧力という自分たちではどうにもならない事情ということにして説得したのだろう。

まあ、こんな推測は事の本質の重大性と比較すれば下らない妄想に過ぎない。内田教授が言論の自由と時間 で哲学されている内容を参照ください。「言論の自由」のような自由・民主主義の根幹の権利は一度侵されれば末代まで祟ります。言った、言わないのような幼児の争いなど本当に瑣末なことです。

で続けての内田教授の首都大学東京の光と影 が笑えました。題名は「光と影」になっていますが影ばっかりで光は何処なんだ!もしかして、彼らの頭の悪さを鑑賞するお笑いの光ですか?

意味不明の学長のコメントといえば(ただし、中身のレベルは比べるのもおこがましいですが)、私は伝説の蓮實重彦総長の入学式の式辞 を聞いたときの衝撃を今でも鮮明に思い出します。それまでの性急な白黒二分法的思考から脱却するためにこれから本当の学問を修めなければいけないと決意を新たにしましたから。

おかげさまで今では疑り深くてひねくれたいやーな人間が出来上がってしまいました。

言葉の残酷な点は、その使い方に言葉を使用している人間の人生の縮図が綺麗に反映されることです。それは語彙といった知識、教養のみならず、どのような人間関係をしてきたか、どのような哲学をもっているか(もっていないか)も含まれる。

私には中高時の教師にかなり険悪な仲の人間がいて、その人間に上記の言葉を作文の添削コメントとして添えていただきました。その内容を要約すると以下の通りです。

「君は確かにペーパーテストでは良い点をとれるかもしれないがそれだけだ。特に文章ではその人間的な薄っぺらさが滲み出る」というような素晴らしいものでした。

話を元に戻すと、教育も言論の自由と同じでその行為の影響はすぐさま現れるとは限らないということ。だって大学改革を受けてその成果を享受した学生が世に出るのはどんなに早くても4年後(飛び級も制度として導入するなら話は別だけど)にならないと分からない。そして修正したとしてその成果がでるのは更に4年後…。

元々は都の財政問題に出自がありそうなこの問題、知事様の長年のコンプレックス(弟といいこの方複雑ですな、荷宮和子 がインポと皮肉った気持ちが分かります)とブレンドされていい塩梅で発酵することが予想されます。