今日はエイプリールフール、1年に1回嘘を吐いても許される日らしいので、いつもと一味違う呟きを。
4月1日各地で入社式、入学式が行われています。新しい生活の場に移ることを機会に希望、野心などを抱き意気揚々と新天地に挑まんとしている若人に対して贈る言葉です。
小学生のときは中学生が眩しく見え、中学生になると高校生が…そして大人が眩しく見えたのに、いざ自分がその立場になってみると心もとない思いはされていませんか?見あげる姿はもっと大きくて、何でも知っていて、自由を謳歌しているように見えて早く自分もそのようになりたいと思っていたのに、自分自身は一体どれだけ成長できたのだろうかと。
きっと誰もがそんな思いを抱きながら、周囲にそれと気取られないように精一杯背伸びして、それを継続し続ける中で次第にその地位に相応しい立ち振る舞いが自然とできていくんだ。誰も初めは未経験者、ストレンジャーに過ぎない。
新しい場所の先輩方に対して緊張を押さえられないのも仕方がない。周囲の人間を決して軽んじてはいけないけれども、そんなに畏まる必要もない。だって同じ空気を吸って、いつかは死ぬ人間であることには変わりはないのだから。でもって早く尊敬できる先輩を見つけることは大切、尊敬できる人を見つけられないならば、その場所はあなたが留まるべき場所ではない。学校や職場を変れといっているわけではなくて、心の持ちようをそれ相応のものにすべきということです。
別の話
新天地を機会に、仕事(学問)のためか、恋のためかは別としてオタクを卒業しようと決意する人もいるでしょう。オタクになるのは簡単だけれど、オタクを続けるのは大変です。何より新しい場に慣れるのにいっぱいいっぱいで時間が確保できないのかな?それは資源(時間・体力)の配分を工夫すれば結構都合つくよ?それにね人間、ゆとりをなくしたら脆いよ。本当に大切なものを、誰からも触れられない領域に確保しておくことはいざというときに強く孤高を保つことを可能にする。そのことも覚えておいて、一度オタクを止めたからといって趣味はあなたを拒絶することは決してない。いつでも優しくあなたの帰りを待っている。
別の話
絶対的なものがあなたの道先に立ち塞がることがあるかもしれない。それは物理的か精神的かは分からない、そのようなときはとりあえず逃げてみよう。距離をとって冷静さを取り戻したそのうえで乗り越えられるか、回り道できるか、完全に撤退するかを決めてみよう。魔法の呪文は「だから何?」いざというときは相対的な眼差しを絶対的に堅持するという不条理を強く意識しよう。
別の話
これだけは譲れないというものを見つけよう。それは誰が決めるのでもなくて自分でそれと決めるもの。
>『私は私のことをやり、あなたはあなたのことをやります。私がこの世に生きているのはあなたの期待に沿うためではありません。そしてあなたがこの世に生きるのも私の期待に応えるためではありません。あなたはあなたなのであり、私は私なのです。たまたま互いに触れ合うことがあるならば、それは素晴らしいことです。そういうことがなければ、それもしようがないことなのです。』
フリッツ・パールズ【ゲシュタルトの祈り】