新刊漫画感想12月後半
で昨年の大いなる収穫としてあげた「テヅカ・イズ・デッド」に関する記事があいついでいたのでそれから。
ユリイカ 2006年1月号 特集*マンガ批評の最前線
■マンガ表現論の革新
キャラの近代、マンガの起源『テヅカ・イズ・デッド』をめぐって;夏目房之介・宮本大人・伊藤剛
「キャラ/キャラクター」概念の可能性;夏目房之介・東浩紀・伊藤剛
まずは伊藤剛氏ご自身の口を通した解説から、まあとりあえずここでのやりとりを読めば↓での外界からの影響をあまりにも軽視している(ように読める)というのは本意ではないことが分かります。キャラを語る際に同人誌即売会での801消費について言及していますから。東氏(夏目氏もか?)が漫画批評以上の一般化について言及した際に、そこまでは考えていないと述べていることからも単純に「キャラ(絵)/キャラクター(物語)」の差異、「フレーム(コマ割り含む)の柔軟性」という技術的な部分に注目した評論であるとの理解で正しかったようです(これまでの評論は歴史的な文脈が主だったので)。
■マンガの現場は今どうなっておるのか?
マンガ編集者覆面座談会 マンガ雑誌はどこへ行くのか(A=週刊少年マンガ誌編集者、B=月刊少年マンガ誌編集者、C=月刊少女マンガ誌編集者、司会=伊藤剛)
かの噂真スタイルの座談会も結構面白いです。編集者は若手メインのようで結構醒めた目で現場を見つめていて「語り」に酔った展開でなく◎ ただかつてのジャンプ式(漫画の受容のされ方も含め)が通じなくなってきているということを現場の声として聞くと考えさせられます。
「サイゾー」1月号内容
<特集2>
マンガの神様・手塚治虫は
「萌え」の元祖? それとも抑圧者?
>伊藤剛氏の新著『テヅカ・イズ・デッド』を引き金に始まった、最新の「キャラ萌え」マンガ論考が指し示す、熱くて深い対立の構図を概観!伊藤氏とは因縁関係にある唐沢俊一氏が、ついに沈黙を破るーー!!
下らない人間関係図マップとかそれにまつわるエトセトラみたいなものはどうでもよくて、ここではこの記事を書いた人間の書評めいた記事が興味深いです。伊藤氏は漫画内部それも読者から漫画家主導の元に漫画が進化しつつあると指摘しているが、外部からの影響をあまりにも軽視していると寄せていますがそれは↑で指摘したように著者の意図は違うことが明らかです。そもそも今までだっていずれが先を歩んでいるか(交互作用でしょ)なんて一概に言えないでしょう。また、キャラありきの漫画が量産されることに肯定的(これは読んだ限りではよく分からない)なのは漫画の面白さを損なうとの指摘は、今までたびたび記してきたような程度論によるとしか応えようがないと思います。
★『創』2月号
特集記事の■出版界の徹底研究は当たり障りの内容でつまんないのでどうでもよくて、いつも連載している唐沢俊一×岡田斗司夫の対談がこれまた漫画批評に触れていて興味深いです。この場合の興味深さとは既存の漫画批評がどうしても「物語」中心であるということを示しているという意味です。
あとついでに時評の斎藤貴男氏の記事がちょっぴりお勧め(首尾一貫している、激烈な小泉批判という点で西尾幹二氏をもちあげている( ゚д゚)ポカーン )
保坂展人のどこどこ日記「冬コミ探訪記」
>年齢制限・地域限定なしのとてつもなく大規模化した学園祭かな、と思った。夏のフジロックでも同様の感想を持ったが、10万人規模の人々が大量のガードマンによる警備などのさしたる規制なく、整然と行列をつくり、争うわけでもなく黙と移動する。しかし、その列をなすひとりひとりの出会いがあり、ドラマがあるということを感じた。
われらが守護神保坂先生冬コミに行くの巻。これが軽薄もしくは悪意のある人間だと過剰に性的表現や、コスプレを揶揄して終了なところ、なんて…。↓はついで
謝る前にケツを出せ「参考資料:男性向け同人の流行年表(2005/12/5β版」
米紙、日本風少女マンガ連載 ネットに対抗、若者読者獲得へ
>米大手紙ロサンゼルス・タイムズとシアトル・ポスト・インテリジェンサーが8日から、毎週日曜日の紙面(日曜版)で日本風少女マンガの連載を始める。インターネットの普及で加速化する若者の新聞離れを食い止めるため、若者に大人気の日本のマンガの掲載に踏み切る。
>掲載するのは「ピーチ・ファズ」。9歳の女の子、アマンダちゃんと、彼女のペットのフェレット(ペット用イタチ)「ピーチ」が活躍するコミカルな物語。日本の人気マンガを北米で翻訳・出版している大手「TOKYOPOP」(本社・ロサンゼルス)が手掛けるオリジナル作品だ。
どうみてもオコジョさん+ハム太郎のパクリです、ありがとうございました。しかし必死に日本の漫画絵をトレースしたのだろうと思いますがダサいキャラデザですね。
以下 単行本感想
【幸せを届けてくれた作品群】
「GO!ヒロミGO!」7巻 麻生みこと
麻生みこと「天然素材でいこう。」~理「心」論~
を書いたように、大大大好きな漫画家であらせられます(匿名で描いているというホームページ見たいよ~)。
一気に話が進んでどうやら終着点が見えてきました(三角関係の決着くらい)。そして唐突のように描いていますが、きちんと塾の講師(生徒)、大学教授とのやりとりで説得力を作っているのが素晴らしい。どこがいいって大学教授との「なんで勉強しないといけないの?」っぽいやりとりを物理学レベルで丁寧に描ききって、しかもきちんと娯楽作品に仕立て上げているところなど「ドラゴン桜」なにそれ?って感じです(逆評定懐かしいな)。
勉強する意味ということをここまでポジティブかつ明るく描き、評価する作品がほかにあるでしょうか?
【購入に値した作品群】
「龍の花わずらい」1巻 草川為
好きな先生ですが今のところ「ガートルード」以降パッとしていないので新シリーズ立ち上げに期待して手に取りました。
設定、テンポ、キャラ設定と今まで強みとしていた部分に加えて、恋愛面で三角関係にすることでもう少しドロドロ(今までが根明すぎた)ところも描けるのではと期待しています。おそらくもっとも欠けているのは華(要はキャラ=絵)なんで、それは恋愛の描写に踏み込むことで生まれてくるのではと思っています。
「金色のコルダ」5巻 呉由姫
「遥かなる時空の中で」11巻 水野十子
似通った作品(逆ハーレム)なので一緒くたにw 両作品とも丁寧な絵柄と丁寧な物語進行でもって本当に安心して読めます。
【暇潰しにはなった作品群】
「シューピアリア」1巻 ichtys
2巻が新刊として平積みされていて目に付いたのでまずは1巻からと読んだのですが…表紙に騙された。「私の狼」のヒロイン・ヒーローの人格をひっくり返して、絵柄は最遊記に変えました?って感じ。
もっと耽美なものを期待していたのに…。
新刊開拓が思わしくない(手に取りたいと思わせるものが…)。
- >「青い花」はすごくわかりやすいんですけど、それは学園百合もののパターンに沿ってるからだと思うのです。
確かに改めて読み直すと「青い花」だけ異様に分かりやすい。学園百合もののパターンに沿っている+視点が現時点のキャラクターに固着されている(動いている自分を醒めた眼差しで突き放している描写がない)というのが分かりやすいからくりなんでしょう。
>実際には暑くもなれず冷めることもできない微妙な心情を上手く描いてるんですが、わからない人には伝わらない。
というところに魅力を感じておられた紺屋さんには物足りないでしょうね。確かに言葉、表情バリエーション少なく、雰囲気でもって繊細な感情を表現するという点で似ている緑川先生もそうでしたが読者層の拡大を図る上で敷居を下げる、一風変わった作品がどこかで必要なのかもしれませんね。
百合ものの王道…が微温的な表現(喜んで消費しているけれど)に落ち着いたら嫌だなって思いはあります。私にとってはお勧めいただいた「おにいさまへ…」「少女革命ウテナ」のような激情迸ったものの方が魂揺さぶられます。 - commented by 遊鬱
- posted at 2006/01/22 23:14
- >志村漫画全体について
志村の漫画って基本的に描写が抽象的すぎるんですよね。だからわかりにくくて、読者に突き放した印象を与えてしまう。
実際には暑くもなれず冷めることもできない微妙な心情を上手く描いてるんですが、わからない人には伝わらない。
言葉(台詞)をあえて使わないのは良いんですが、それだったらもう少し絵で感覚を表現してほしいなと思います。
萩尾望都や大島弓子、それによしながふみなんかも同じように抽象的な描写を多く使いますけど、彼女たちの漫画にわかりにくさはあまりない。それは絵で意味を伝えられてるからですよね。
そこさえ克服すれば手放しで絶賛できるんですけど、キャリアも長い人ですし、この先も同じ路線で行くんじゃないかと思います。
ちなみに個人的には似た感想を緑川ゆきにも感じてます。
>「青い花」
「青い花」はすごくわかりやすいんですけど、それは学園百合もののパターンに沿ってるからだと思うのです。
僕はパターンに沿った結果わかりやすくなったのが歯がゆいんですけど、たぶん遊鬱さんは百合ものとしては王道になりきってないから歯がゆいんじゃないでしょうか。 - commented by 紺屋
- posted at 2006/01/20 23:06
- 紺屋さん、早速読ませていただきました、紹介ありがとうございました!
著者名だけでは思い出せませんでしたが「ラヴ・バズ」は以前、女性漫画家の書くあるいは女性が主人公の格闘ものを追っていた際に読んでいました。そのときはどうして女子プロものを書こうとしたのかがまったく理解できず、単に親子ものの範疇かと思って投げ出していました。
今回「青い花」を読んだあと、なんとなく歯がゆい気持ちになって、一緒に並んでいた「どうにかなる日々」1~2巻も併せて読み
>相変わらずその才能がフルに発揮されてないのが不満ではありますが
とのコメントの意味がよく分かりました。「青い花」確かに私好みの繊細なやりとりが多くて琴線に触れたのですが、それだけに一層踏み込み、描写の淡白さが気になりました。おそらく志村先生は器用貧乏なのではないですか?家族ものから、恋愛において異性愛・同性愛区別なく、表現としてもプラトニックから露骨な性描写までなんでもこなされていますが華がない。キャラデザとして淡白(書き込みが少ない、表情のバリエーションが乏しい)ということもあるし、物語としても余韻が残る残らないといったレベルを超えた突き放し方といい読むほうに何が表現したかったのかと悩まされる作品ばかりです。
おそらくとことん醒めた(恋)愛観をお持ちなのでしょう。まさに適度の距離を保ちつつ(幽霊なんてその典型)も、人間不信といったひねた態度とは一線を画するそんな強い人間を淡々と描きたいのでしょうか。 - commented by 遊鬱
- posted at 2006/01/19 22:30
- 紺屋さんいつもありがとうございます。大判系は弱いだけに推奨していただけると本当にうれしいです。今週中に必ず買わせていただきます。
- commented by 遊鬱
- posted at 2006/01/15 23:02
- 志村貴子の「青い花」は読まれました?
かなりレベルの高い百合もので、遊鬱さん好みだと思いますよ。
相変わらずその才能がフルに発揮されてないのが不満ではありますが、それでもやはりその他大勢とはレベルが違うところにいます。
そもそもポテンシャルはよしながふみに匹敵するかもしれない人だから、当然ではありますが。 - commented by 紺屋
- posted at 2006/01/15 18:52