>『あなたと過ごした日々をこの胸に焼き付けよう、思い出じゃなくなっても大丈夫なように。』
監督;細田守
脚本;奥寺佐渡子
キャラクターデザイン;貞本義行
作画監督;青山浩行・久保田誓・石浜真史
原画;長谷川眞也・和田高明・りょーちも
時をかける少女を今、観てきました…。
『時かけ』でさよなら テアトル池袋 8月31日で閉館
>アニメ・映画系のマニアに親しまれた映画館「テアトル池袋」が2006年8月31日で閉館する。
>1980年に名画座として開業以来、「アジア映画専門館」「新人作家発掘の専門館」「拡大ロードショー館」など、様々な興行を実施した劇場だが、まだジャパニメーションといった言葉などなかった時代に「アニメ映画専門館」を展開したことは往年のファンにはきわめて思い出深い。
>最終日8月31日の上映前には、監督の細田守氏による舞台挨拶が行われ、26年にわたる業績をたたえる。上映は21:00より。
細田監督が仰っていましたが、夏休みがテーマである本作を8月31日という夏休み最後の日に、また劇場最後の日に観たということ。これは劇場でフィルムをスクリーンを通して観たということに付随して決定的な経験として記憶に残っていくことでしょう。ああ、10年前にこの作品を観ていたらとちらっと想いましたが、そのように想うこと自体がこの作品のテーマを否定しかねないか…。
※ここからタイムリープしての追記。
テアトル池袋さよならイベントのレポート。それと上映館の拡大も!
時かけの上映終了後は、細田監督と渡邊プロデューサーのトークイベント。
細田「そうですよね。だってビデオで観ると、いつどういうシチュエーションで観たのか思い出せないけど、僕は『シコふんじゃった』はさっき言った駅前の屋台のおじさんの記憶と一緒になってるからw。そう言うのが良いんだよね。テアトル池袋に限らず、こういった単館系の映画館って、シネコンに押されてるのは残念ですよね。」
これが最初に見終わった第一声として記録したものに関する細田監督のコメント。
渡邊「大規模公開でガンガン宣伝やっていく作品も面白いけど、『時をかける少女』は心に残る良い物を作りたいという気持ちが一番初めにありました。結果的に沢山の皆さんに観ていただいたおかげで、最近では「角川が戦略的に初めから狙ってやったんだ」って言われて...」
細田「メディア戦略だってねw、予想していたんだって。」
渡邊「買いかぶりですよねw。」
細田「角川が戦略を仕掛けたなんて、ネットの情報を信用しちゃダメですよーw。」
渡邊「いやいや、こんな軽口をたたけるのも皆さんの支持のおかげです。」
ここはちょっと文字面だけ追っていると伝わらないかもしれないけれど、ニュアンス的に角川も結果論に過ぎないのに、さも戦略でしたという図に載っているよなという細田監督の嫌味があって、慌てて渡邊Pが流すというやりとりです。
幻視球さま「時かけと原田知世とアニメ」
>言動が、最近の「萌えオタ」とあんまり変わらないような気もしますが、それはそれ(笑)。20年経って、「時かけ」の主役の座が「アイドル」から「アニメ」に移ったのは、上の世代の作り手が「アニメなりに追求」したことと無関係ではないのかも。
彼らの純粋さはアイドル、偶像はアニメでこそ十全に表現しえるということですね!(嘘) しかし、座談会のやりとり(特に河森監督)が微笑ましい。
アニメスタイルさま「初心者のためのホソダマモル入門・その6 盟友・橋本カツヨ入門」
>14話「黒薔薇の少年たち」。さらに20話「若葉繁れる」、黒薔薇編最後を飾る23話「デュエリストの条件」と重要な回を担当。黒薔薇編全体もカツヨ風味に見える……なんていうのはちょっと言い過ぎですかね。ただ、幾原監督も黒薔薇編に関しては「ドラマに寄り過ぎた」という話をしており、その一因が橋本カツヨだった、とは言えるかもしれません。
混乱させないようにはっきり書くと、細田守監督=橋本カツヨ氏です。私は黒薔薇編こそがウテナをウテナたらしめたシリーズと思っていますが。つまりウテナもまた舞台に上っている役者であるということが脇役視点で物語をみつめることで浮き彫りになるというようなね。そして他のメイン演出家であった錦織博監督、五十嵐卓哉監督を念頭におくと確かにドラマに重きを置いているといえそうなのは細田監督だけです(幾原監督は論外w)。
>20話では、「禁断のイマジナリーライン越え」も行われました。イマジナリーラインというのは、映像表現において、人物と人物、人とものなど、2者の間をつなぐ(想像上の)線のこと。この線を意識して、カメラポジションを決めていかないと、視聴者側が位置を把握できなくなり混乱する、と言われています。映像表現では基本中の基本ですが、西園寺が御影という謎の男に出会った瞬間、このイマジナリーライン越えが行われます(ちなみにこの言い回しは、カツヨさんの絵コンテに書いてあったものです)。本来カメラを移動させてしまうと混乱が起きる“ライン”をわざとまたぐ事で、見る側に違和感をもたらし、それまでの世界が急激に反転する、という狙い。本作では、それまでが穏やかな世界だった事もあり、この急激な変化が大きな効果をもたらしています。
これを読んだ後で思ったのですが、廊下で樹璃とウテナが会話をするシーンも同じ手法を使っているかも。
>もうひとつ、この話で印象的なのは、細田守のトレードマークともなった同ポ繰り返しを、カツヨさんも使っているところ。若葉という少女が登下校していく道筋のレイアウトが、何度もシーンを変えて使われます。『アッコ』14話の「チカ子の噂でワニワニ!?」などと同じ手法ですね。ちなみに、基本的に同じレイアウトなのですが、置かれている小物が、トラック、バイク、自転車とシーンごとに変わっています。これまた、細田さんも得意とする、同じように見えて少しだけ異なる部分を入れるという手法を彷彿させます。
まさに「時をかける少女」そのものです♪
>29話「空より淡き瑠璃色の」に触れておきましょう。カツヨさんを「情念の人」だ、と自分が感じたのは、この話の印象が大きいのです。樹璃に対し、作り手側が肩入れしていることが、映像からひしひしと伝わってくるような気がしたのですね。あえて言うと、橋本カツヨが「キャラクターに自分自身を投影している」とでもいうような。
実況29話でさんざん悶え狂ったコメントを付した身としては「気がした」ではなく、間違いなくそうだと思います!
参考;http://newmoon1.bblog.jp/category/revolutin/
(ウテナ実況)
以下 普通にネタバレしているので注意!
ただ、ただ突き抜けるような青空を目指して、泥まみれ、傷だらけになることを厭わず上へ上へという飛翔を繰り返し続ける。それは動きとしても作品内容としても綺麗に静止させることなく(制止しているのは空のみ)、常に動きに満ち溢れ、コントロールが効いていない、過剰それだけ生のエネルギーを鮮烈に感じさせる。
青春、思春期の只中にいるならばおそらく後押しするものとして、通り過ぎたばかりのものには甘酸っぱい、甘苦い感情(悔恨、羨望)がこみあげてくるのではないだろうか?だから、楽しみ方、受容の仕方は人それぞれ(同種のことは記してきたけれど)とは思いつつも、ことこの作品内容に関して「過去の作品が~」とか、「閉塞する現在背景が~」などと受容するのは悲しい、可哀想な人かなとすら思う。もっと私人的に、詩人的に感傷的に心なおきままに動かされてみれば、きっと…。
作中ではきちんと説明されないけれど充分に仄めかされている、真琴と同種の経験をし、未だに拘束され続けている和子叔母さん(@原沙知絵氏ってテレビドラマで見た限り大根かと思っていたのですが声優としては違和感なかった!)の「思い出」や、千昭君のいう遠くない未来の惨劇と未来は希望に満ち溢れた明るいものどころか、むしろ暗い。だからこそ、たかがプリンや他人の色恋沙汰であたふたしていた真琴の愚かさがより輝く、愛しいものに感じられ、そのような真琴だからこそ未来がたとえそのようなものであったとしても希望に満ち溢れていると感じさせてもいる。
千昭君がこの世界に来たのは絵の為でもないし、留まっていたのはなおさら違う。彼が見たかったのは光そのもの(絵の図柄、描かれた当時の時代背景も含めてね)、その一瞬の光はそれこそ単なる弾みや勢いではなしに、彼の全過去を賭けるに値するものだった。最後のタイムリープを使う瞬間に逡巡があったことは、真琴との会話でどれだけ踏み切り事故が悲惨な状況に陥ったかを知っている(要はみていた)ことからも窺える。光が焼き付けたもの、思い出はその後の生を例えどのように陰惨なものであったとしても支え続ける。
時間は人の想いを顧慮することなく、たんたんと流れる。その中でたとえ過去をやり直せたとして、その結果得られた新しい現在がよりよいものであるのかその保証は遠い未来になってみないと分からない。しかし、真琴はどれだけ空に向けて飛翔したとしても、せいぜい2週間程度しか飛べない。だから実はやり直せないし、未来になってやり直そうと足掻いても、その修正すべき過去がどれか、避けるべき現在に波及している過去を探す困難さは2週間程度のことでも厄介極まりないことが、真琴の笑いを誘う(実際、劇場でも零れていました♪)頑張りで描かれていた。
映画では踏切事故と、告白のカードに印象的だけれど後者のカードは最後の最後においてあれだけ舞台が整ったかにみえても引きなおせなかった。そのことについて折に触れ考えてしまう。人の大切な気持ちを踏み躙ったから、どうこうという罪の問題ではなく、同じ条件が揃ったとしても同じ感情が、そしてその感情に基づいた言行動が引き出されるのかと…。
何を書いているんだか、いつにもまして混沌としているけれど、たぶん一番は主人公の紺野真琴の愚かさ、純朴さがむしろ眩しいものとして私には決して手に届かないものとしていろいろと感じさせられたということ。夏の終わり、いや作中で言うとむしろ夏休みが始まるところで終わるのだけれど、真琴にとっての夏休み=少女の時期は終わったんだなと思うと妙に切なくて、それが劇場が閉幕するということと、自分自身の思い出と絶妙に化学反応を起こして悲しみでも感動でもそのいずれでもない感情がとめどなく溢れるのを感じることができたんです。
146 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/05(火) 19:28:31 ID:mo97xaRP
時かけ以後もタイムトリップorタイムスリップでタイムリープなんて一般的に使われたことはなかったような・・・・
「タイムリープ」というと高畑京一郎氏のものを思い出すんだけれど、全く違いましたからね。時間移動しつつも、それを時間軸に沿って把握しているのが主人公ではなく、お相手というこちらも面白い作品です。
147 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/05(火) 19:30:58 ID:ZpeDfrF1
千昭のいた時代では一般的な用語なんで、つい使っちゃったんでは
148 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/05(火) 19:34:55 ID:xpKdeV/f
真琴はタイムリープでもタイムトラベルでもタイムトリップでもタイムアタックでもどうせわからないから問題ない。
149 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/05(火) 19:39:45 ID:F5E8vwqa
>>148
一つだけ仲間はずれがありますよw
150 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/05(火) 19:44:41 ID:mo97xaRP
タイムショックが抜けてるな
笑った♪
449 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/07(木) 23:29:00 ID:KjjyfAqC
きょう、mpteの研究会で細田監督と渡邊Pの話を聞いてきた。ブログとかにうpされてると思うけど、おまいらレポ要る?
461 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/07(木) 23:59:21 ID:KjjyfAqC
>>450
反応薄いんで、すまんが簡単にする。後で公式ブログに載ると予告されてるので、そっちでじっくり見て。
・出席は監督と渡邊Pで、齋藤Pは欠席。
・予告編上映の後、二人が時系列を追いながら話す形。
・公開についての報告が渡邊Pからあり、現在延べ約60館、見通しとしては100館行きそうで予想外。岩手で12/30から公開の予定があり、年を越して上映されることが決まった、とのこと。
・当初作られたフィルムは、予想されていたとおり14本。もっと作っておけばよかったが予算がなかった。上映が増えた今は、プリントを増やすことが決まり。
・制作費は数億円、という程度。
・この手の話の例に漏れず、脱線するごとに面白くなり、時間は30分伸びて、会場の都合で追い出されるまで続いた。
・但し、NOTEBOOKに記載されている話も多かった。
・質疑応答ではDVDの話が出て「来年じゅうには」というコメント。
なにしろ、PC持ち込んで打ってるヤシもいたし、おれも全部録音したしw メモ取ってる人多かったから、今晩からたくさんブログに載ると思う。そういうブログや公式で詳細はフォローしちくれ。
既に興行だけで1億突破しましたし、むしろここにきて公開館数が増えている状況、興行だけで7割がた回収できそうな勢いですね。
ちなみになにかと比較されるゲドの興行推移が↓
ゲド戦記の推移 7日間の興収 前週比
~7/30(日)の2日間 09億0533万
~8/06(月)の10日間 25億0238万 約16.0億
~8/13(日)の16日間 38億3023万 約13.3億 83%
~8/20(日)の23日間 53億0006万 約14.7億 110%
~8/27(日)の30日間 60億1446万 約7.1億 48%
~9/03(日)の37日間 65億7194万 約5.6億 78%
~9/10(日)の44日間 68億5891万 約2.9億 51%
484 名前:461 投稿日:2006/09/08(金) 00:47:09 ID:HEQPh2RB
おれが検索下手なのか全然ブログに出てないし、2ちゃんにもないみたいなので追加
・NOTEBOOKにない話でおれに印象的だったのは、ロケハンを重ねるうち、自分の高校時代と今の高校生が生きている環境や現実とは全く違うことがわかりそこに気をつけた、という話。高校生十数人にもインタビューして、渋谷にいるような女子高生とは全く違う素の高校生のことを知ることができた。
・質疑応答で「時をかける少女」のタイトルは、「2」「新」もアリだったのでは?というのに対し、「違うタイトルで映像化されたのは最初の「タイム・トラベラー」だけだし、「時をかける少女」で行くのはもはや伝統なので襲名した、という軽いジャブのあと、「時をかける少女。」という案もあった話が出たw
・やはり予算がなくて試写会は2回しかできなかった。
>>472
損益分岐点は超えていると渡邊Pが明言してた。
>>479
夏の映画なのに、冬に公開してどうなんだろうとちょっと心配、と監督or渡邊Pのコメントあり。
でも、夏冬より、人の入りのいい映画館で見るのが楽しい映画だとおれは思う。んじゃおやすみ~
502 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 04:10:51 ID:EoNhl020
461とは別人だが、イマジカ研究会の件で追加。
「DVDが今年中」というのは、渡邊Pが「12月公開の劇場があるので1~2月は無理だし、でも夏まで遅らせるわけにもいかないし、ウーン…。」というのを受けて細田監督が、冗談まじりにフォローした発言なので、ニュアンスでは、春ごろを想定しているけど決めきれていないという感じ。
後、印象に残ったのは、こんなところ。
・最初期の企画書の細田監督の言葉を読もうとした渡邊Pを(恥ずかしがって)必死に止める細田監督。
・初期案のひとつ:主人公を含め女の子3人組(後に後輩3人組へ転化)
・没ネタ:「クラブ活動が、ドミノ倒し部」(TLで倒れたドミノが戻ったり)細田監督「やらなくてよかった・・・w」
・「TLが勝手に発動」という線で、脚本初稿を書いてもらったが、これでは主人公がTLに翻弄されてしまって、最初に決めた「元気で活発な子」というのにそぐわないので、自発的にTLできるように方針変更(2004年12月)。細田監督「脚本完成までに時間がかかったのは、奥寺さんが遅かったわけではなく、実質、オリジナル脚本を2本書いてもらうことになった為。申し訳なかった。」
・方針変更後の脚本もって、渡邊Pが角川CEOへお伺いたてにいったところ、「GO」の判断と同時に、指摘された内容が、(上からの我儘とかではなく) 結構納得いくものだったとの事。渡邊P「踏み切り事故のシーケンスとか・・」細田監督「イメージボイスとか、結構的を得てましたね」
もし週末くらいまでに、あまり情報でないようなら、また書きますわ。
507 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 08:36:28 ID:d/CoV8ge
あっ、やっぱり千昭が何で気付いたか明確にわかるシーン無かったんだね。そう考えるとやっぱ未来の人間は何かしらTLについて敏感?なのかもしれないな
518 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 12:33:39 ID:Y/l3+/ok
>>507
絵コンテの段階ではあった 監督が意図的にカットした
519 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 12:51:49 ID:nIfYRaIg
>>518
kwsk
520 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 13:03:51 ID:Y/l3+/ok
>>519
高瀬の投げた消火器が千昭にあたる瞬間に真琴がタイムリープを使う
↓
離れた場所にいた真琴が一瞬の内に近付き千昭を助けたため
↓
千昭が「おまえ・・・今・・・」「ありえないこと しなかったか・・・?」
真琴「・・・・」
こんな感じ、絵コンテはホント面白いよ買って損はなし!
524 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 13:27:09 ID:wYU/fEgc
>>520
おお、そうなのかでも削って正解だな、その部分
525 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:2006/09/08(金) 13:40:17 ID:Y/l3+/ok
削除することによって最後の畳み掛けるような千昭TEL、タイムリープ、功介自転車、ミンチの怒濤の展開が鳥肌もんだったね
本当に、そう思います。
>『「とぶ」とはどのような行為か?少女は屋上から飛んだ。少年はアクセラでとんだ。彼らは何かを飛び越えようとしたのか?
(中略)
歴史的には人が超越しようとしてきたのは「限界」や「存在」そのものだった。限界――能力の限界、それは多くの場合肉体の限界である。そして存在――他との位置関係によって初めて際立たされる。ある種の確かさ。
(中略)
ではそれらを超えたと思った瞬間――飛躍の瞬間に彼らが見た光景とは何だったのか?
(中略)
少年が求めた加速は死に急ぐものだったか?生き急ぐものだったか?…どちらの場合にも「とぶ」そのものの瞬間には今、ここにある現実とは別の世界が開けることを期待している。確かにその快楽の側面には、別の感慨もあるかもしれない。「とぶ」ではなく、「堕ちる」悦びとでもいうべきもの。
(中略)
結局、重力の制約から逃れられない世界にいる以上、跳躍のあとには着地が待っている。いかな美しき飛翔も「着地失敗」してしまえば元も子もない。』
「トブ、トイウコト」