なぜ「話」は通じないのか~アウフヘーヴェン♪~ | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

今まで通常書籍の書評、感想の類は避けてきましたし、実際にこの本を読んでそれでもなお書くというのはそれこそ読んでいない証としか思えません。

だからこそ皮肉大好きで性格の歪みを自覚、自認している私は書くんですけれどもね。

難しいことを難しく書くことならば誰にでもできます。しかし、難しいことを平易に書くことは書いていることをきちんと理解し、なおかつ本当に頭の良い人にしかできないということを表している素晴らしい本です。現在のコミュニーケーションの陥りがちな不毛さを理解するうえで必ずや一助となるでしょう。

たとえ著すに至った動機付けが個人的な私怨に発していたとしても、それをそのまま罵詈雑言として吐き出してよかれとするならば誰にでもできます(例えば「徹底抗戦!文士の森」 笙野 頼子 (著) の冒頭を読むだけで端的に分かります。いくら取り繕ったとしても覆い隠せない?否覆い隠そうともしないほどの感情が滲み出ている本、そしてそれが娯楽にまで昇華していると好意的に評価できる点がないようなあるような…この前角川春樹氏の自著を取り上げたようにそういう悪書が好きな人ですけれど)それを咀嚼して現在の社会が陥っている問題点にまで一般化し、その原因、解決策を含めて分析し、そのツールを実際に具体例にあてはめて切れ味を試すというところまで一冊の中で提示しているまさに実践的な本だと思います。

コミュニケーション不全に陥っている原因を解明すれば、それはそのまま有益なコミュニケーションを成立させる条件が明らかになるはず。

本書ではいくつもの原因をあげています。
二元的思考の罠…その出自を正・反・合のヘーゲル、マルクスにもち、ディベート技術などとあいまってとにかく何でもかんでも反対する思考の癖がついてしまった。

言霊信仰とでもいうべく脊髄反射…哲学やら思想オタクという人種が跋扈し、特定の専門用語がでてくるとその文脈を無視して(脱文脈でも脱構築でもなんでもいいです)自身の知識をひけらかさざるをえない人たちの存在。きちんと相手が何を伝えようとしているかを汲み取れないつまりは世界閉鎖系です。

対人論証という名の論証の空洞化…1+1=2という事実は小学1年生が主張しようが、大学教授が主張しようが同じですが、それをその主張する人自身を問題としてとりあげることで論証自身の真偽が遠く離れていくということ。まあやがては人に反対するために反対するという「坊主憎ければ袈裟まで憎し」の複合骨折バージョンです。

歴史の終焉大きな物語の不在というポストモダン状況における小さい物語の小さい争い…これは①にも②にも絡んでくるのですが、物差しを失った結果、逆に物語が無秩序に乱立し逆説的に二元的思考に堕したり、小さいことに執拗に拘ってしまう姿勢を生み出すというもの。

でこれらの分析に基づいて、自己責任論や戦後責任論やらを切っていくわけですがこれが非常に分かりやすいです(私は冒頭の仲正氏の個人的かつ具体的な生々しい事例の方が好きですが)。とにかく本当に簡易な文章かつ楽しい内容でもってきちんと現在批評を繰り広げている名著ですのでお読みください。

ただ私がゲーム脳やオタクに代表されるメディア悪影響論に脊髄反射的に噛み付くことは看過してください、お願いします。

参考記事

アウフヘーヴェン
正義を試すこと 無神論 全体もそうといえばそうですが)