「ハーメルンの笛吹きだ♪」「いっそこのまま厄介な人達を街の外まで連れて行ってくれないかしら?」 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

2006/07/17 は「小森霧」ならぬまさに「ひきこもり」商法のメモですね。そしてこういう輩を批判し続ければそれはそれで「反反若者論」をネタにしているということになるのでしょうか?更には、そういう正反関係がむしろ「若者論」という構造を温存することに加担しているとか言う社会学者(思想家)とかいそうだね…ちっ。先回りして答えておくとどう見ても「若者」を擁護する人間がいない、「若者」を叩くことがノーリスクだからこそこの有様になったんですけどね。

丸山氏がヤンキー先生義家氏を一喝
>台風4号の直撃を免れた都内では、多くの陣営が午後から街頭活動を再開したが、義家陣営は街頭に出ず、義家氏は自宅で家族サービスをして過ごした。候補者らしからぬ行動に、丸山氏は「嵐がなんだ。ヤンキーならばもっと暴れろ。ほえろ」と檄を飛ばし、義家氏は夜になって急遽街頭に立った。

ヤンキー「ならば」という辺りにピクンと反応して、皮肉を感じてしまうのは、私も十分毒されているんでしょうか?

>丸山氏は、午後5時過ぎ、義家氏がファーストサンデーを自宅で過ごしていることを知ると、「ヤンキー先生、あきらめたんじゃないだろうな。俺なんか朝から5~6キロも走ったぞ」と立腹。「ヤンキーの割りに根は真面目でおとなしい人」と理解を示しながら「選挙なんだから。若いんだし、ヤンキー先生なら嵐に向かって自転車でもバイクでもぶっ飛ばして、もっと人間らしく暴れろ。ほえろ」と一喝した。

「根は真面目でおとなしい」=「実は大言壮語の小心者」とでも言いたいのかー!!失敬だ、訴えてやる!w

>午後6時くらいまで「(今日は)演説は行わない」(事務所)としていた義家氏は急遽、自宅のある横浜市内で午後7時過ぎから40分間、街頭に立った。事務所は「午後は自宅近くであいさつ回りもしていた。東北に行っていた遊説車が午後6時半に到着したため、急遽演説を行った」と言うが、当初予定は遊説車のいらない練り歩き。いささか歯切れの悪い説明となった。(日刊スポーツ 7.16)

また、3分で辻褄の合わなくなる嘘ですか、「鶏になる」とか号しているのは「自分の言ったことを三歩歩くと忘れる」という意味なんでしょうね、実に奥深いです><

協同出版「「教育新時代を若き教員志望者とともに戦っていきましょう」義家弘介インタビュー
■ 「熱血教師」としてのイメージが強い義家さんですが,教員のころは授業を一所懸命に工夫した,努力家の一面もあるそうですね。

>教育というのは,努力しないと続けられないものです。子どもというのはどんどん成長しますから,そのかけらでも知り,自分を成長させるための努力をしなければなりませんから。10年前には起こらなかったような事件が目の前で起きているときに,教員がその10年間なにもせず「わからない」と言うわけにはいきません。だからこそ,スキルアップという刃を自分自身に突きつけていく必要があります。これは,現在話題になっている免許更新制や指導力不足教員の問題にも通じることです。

と10年間も教師を務めていない人間がほざいております。

■ 母校である余市高等学校を離れ,横浜市教育委員会の委員になられたのは,どうしてでしょう?

>全国から問題行動を起こした子どもを積極的に受け入れていた余市高校の中でも,横浜から入学してくる子どもが非常に多かったのです。当時の神奈川県ではア・テスト(アチーブメントテスト=県内一斉学力テスト)が中学校で実施されていて,そこではじかれた子どもが多く入学していたのです。また,横浜は日本で最も大きな教育行政区でもあります。そこで,一番大きな教育の森であり,学生時代を過ごし,教員を目指した原点でもあった横浜に10年ぶりに戻ったのです。

県内の高校を序列化するにあたり、出来の悪い子は学校にとって邪魔なんです。だからはじきだされるんですが、義家が推進している(してい「た」でしたw)教育再生会議は学力向上を旗印にむしろ学校間をより序列化する方向なんですけど…杉ばっかり植えて植生が偏った人工林みたいですねw

>教員だったころは,教育行政について,知識としては知っていても,実態は知らなかったので,実際に身を置いてみて,驚きました。月に数時間,午前中だけの会議を行うだけで,横浜市にある全ての学校の教育方針が動かされてしまうのです。そこで私は,少しでも多くの学校を回り,教育現場の現状を届けられる人になりたいと思い,実際に多くの現場に足を運びました

と最初に掲げた学校訪問数の目標の1割程度で、教育委員会の委員も投げ出した人間がほざいております。

■ そこで見えたものは,何だったのでしょうか?

>たとえば,多くの教員は「教科書が終わらない」と言っていました。その結果,親たちも教員を信用できなくなっている。その原因を考えれば,想像に難くないものがあります。ハッピーマンデー法の成立で月曜日が休みになり,完全週休二日制になった。その中で情報が必修化され,総合的学習の時間が必修化されて,圧倒的に時間が足りなくなっているのです。しかし,この問題は教育委員会だけでは解決できないのです。

と道徳の教科化かやら、親学やらを学校にさらに押し付けようとしている人間がほざいております。常考、時間はますます足りなくなるんですけれど。

■ 光は影を生みますが,熱は伝わります。

>そうです。もちろん子どもは最初は嫌がります。必ず「ウザい」と言われますよ。でも,どうでもいいわけでもなく,何らかの影響を感じるからこそ鬱陶しく感じるわけです。ですから私は,「ウザい」というのをほめ言葉だと思ってますよ

              ヾヽ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  Λ_Λ        _( ・l> < >>義家うぜー
 ( ・∀・) パカッ!  ミ_ノ    \______
 ( [l■l_]XXXXXXX⊂⊃
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 (__)_)

誉め言葉とのことなので堂々と書けますね。義家うぜー

■ 義家さんをそこまで熱くさせる原動力は,何でしょうか。

>産みの親の顔を知らず,過去に過ちを繰り返した私は,まさに教育によって産んでもらい,教育によって育てられた,と思っています。過ちは消せないからこそ,同世代の何倍も努力をしなければならないと感じています。正直なことをいえば,今だって教室で子どもたちと一緒にいたいと思います。でも,誰かが人生をかけて教育全体を変えていかなければならない。私にはその機会が与えられているわけですから,そこに全力を傾けることが使命だと考えています。

と恩師には糸の切れた凧呼ばわりされちゃっている人間がほざいております。あと「命」は教育再生会議に賭けちゃったので、「人生」をかけているんでしょうか?

>私は今,36歳です。だとすれば,今の子どもたちの30年後にも責任を負わなければならない。私たちが今,こうしている間にも,教室で紙を食べさせられている子どもがいる,「生きててもしょうがない」と言っている子どもがいる。私のように,間違ったことをした人間が自分で責任をとるのは,子どもといえど当然です。でも,何も悪いことをしていない子どもがいじめられたりする中で,教育に産み育てられて,36歳で教育の様々な面を見せてもらった私が,子どものためにあらゆる挑戦をしていかなければならない,と痛切に感じます。ゆっくり議論をしていたら,子どもたちはその間に大人になってしまいます。

またまたまた(略)自称いじめと戦うひーろーさまですか?

■ 最後に,教員になることを目指している読者へのメッセージをお願いします

>私自身も,みなさんが教壇に立つその日まで,私自身の存在を賭けます。安心して,誇りを持って教職に就いてください。1人ひとりに寄り添って救うことはできないけれど,最前線で一緒に戦います。それはお約束します。

命やら人生やら存在やら賭けるものが多くて羨ましいです><さすがは、自称「内臓全摘」して生きている超人さまです!

校長、学力テスト中の児童に指で正答教える…東京・足立区
>同校はこの学力テストで、区内での成績が前年の44位から1位に急伸しており、区教委は「管理職からの何らかの指示があった」と判断。今後、第三者委員会を設け、学力テストのあり方などを検討する方針だ。

>今月7日、この小学校が障害のある児童らの成績を保護者の了解を得ないまま集計から除外するなどしていた問題が発覚。区教委が同校を含めた区内の全109小中学校を対象に調査し、この日、結果を発表した。区教委によると、同校の校長と教員5人が、「(指で解答を誘導する)指さしをした」と不正を認めた。また、この5人を含む9人の教員が「管理職からの指示があった」と話しているが、校長や副校長は指示を否定している。

予測どおりの展開キタワァ━━━━━━(n‘∀‘)η━━━━━━ !!!!!あまりにも予測どおり過ぎてもう哂うしかないですな。

>一方、障害がある児童らのテスト結果を保護者の了解なしに集計から外した小学校が計2校あった。同区では、02年度に学校選択制を導入し、05年度からは区独自の学力テストを本格的に始め、学校別の成績と順位を公表。07年度からはテストの成績の伸び率を各校の予算配分に反映させている。(2007年7月16日 読売新聞)

金を貰うためなら手っ取り早く業績=学校の成績あげようとしまわすわなってなんでこの程度のことが常考にならないのかその方が不思議なんですけれど…。


以下 お口直しとしての苅谷教授の正統なる教育論+アニメ感想

5号館のつぶやきさま「苅谷剛彦さん講演会」
>苅谷さんが話し始めに、「格差」という言葉は、言いたいことを正確に表現しておらず、「不平等 inequality」という言葉を使うべきだとおっしゃったのは、まさにその通りだと思いました。

これは以前メモさせていただいた名言ですね。「不平等」は政策的失敗になるが、「格差」と言ってしまうとそれは致し方ないこととなってしまうと。

>教育再生会議が狙うバウチャー制を含む教育改革は、いままで都道府県や市町村を単位として投入されていた教育に対する資源(予算)配分が、個人に対して投入されることを意味し、ある意味それは日本における教育制度の革命的な方針転換であり、実行した場合には「パンドラの箱」を開けることになるのだが、政府や教育再生会議はその覚悟を持ってあるいはそれに気付いているのかどうかが疑問だというようなお話しだったと思います。

都市部と地方の「格差」をなんとかとか、ふるさと納税とか言っても台無しですね。まあ、ホワエグをもって少子化対策ですとか素で言えてしまう知性の持ち主に期待しても無駄です。法律の波及効果という想像力が貧困すぎます。しかも善意(法学的な意味でのね)でもってこの改革を進めている恐怖については、専門家不在ということをさんざんぱら指摘している苅谷教授からすればなんともはやでしょうね。

苅谷教授「この国の教育にいま、起きていること」 第8回「政治と教育」
>この連載でも、参議院選挙に絡む話題を取り上げてみようかと、各政党のマニフェストや公約をホームページで読んでみた。ところが、正直、またしてもというか、落胆した。マニフェストと呼ぶにはいかがなものかと思うほど、具体策を欠いた政策を掲げる政党が少なくない。具体的な政策が示される場合でも、予算の裏付けや、いつまでにやるのか期限が示されていないなど、政策としての実効性にはクエスチョンマークが付く。これでは、具体性と実効性を基準に、有権者はどの党に投票したらよいのか。教育政策だけに限ってみても、相変わらずの、代わり映えのしない選挙公約である。これでは、選挙を通じて(その時々の「風」や政治家個人ではなく)政策が選ばれることが想定されていないかのようである。

痛切すぎます…。実は今回のエントリーは分量自体が短いし、その中身も恐ろしく抽象的なものに留まっています。これまでのものを読み返せばいったい如何したことか?と問い返したくなりますが、それは選挙期間中だからということなんでしょうけれど(口をいったん開けば一線を越えざるをえないとわかっているからこその抽象論なんでしょう)、早い話まさに「絶望した!」ということなんでしょうねorz

>小泉内閣で定着した「官邸主導」による政治は、最終的に与党(=多数派)の支持は取り付けるものの、個々の政策イシューについては、必ずしも与党の個々の議員の意見や民意を反映させないかたちで、一部の主導者(一体どこの誰だ?)による意見が政策を方向付けていくしくみを作り出した。官僚的な慎重さや中立性も欠き、専門家の知識も活用されず、民意の反映でもないとしたら、こうして作り出される教育政策とは、いったい誰による、誰のためのものなのか。

。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン

>参議院選挙のマニフェストを読んで、落胆とともに考えたのは以上のことである。それでも、やはり、投票日には選挙に行こう。

苅谷教授が口を濁した各党のマニュフェストについて参考にしてください→新・後藤和智事務所さま「平成19年参院選マニフェストにおける青少年政策の評価」


…ただ、一言だけ付け加えさせてください。

>英国の王立建築家協会が実施した調査では、すばらしいデザインの学校では不登校生は発生しにくく、教育効果は絶大であると結論づけている。(2007年国立新美術館における英国王立建築家協会会長の講演)病院でもデザインの良い病院では、患者の回復が早いことが分かっています。(共生新党)

こちらは、教育にお金をかけよというメッセージにほかならないと思うのですよ。例えばの話、学校選択や満足度において制服のデザイン が重要な要素であったりするので「デザイン」に着目するというのは、これまた真面目に考えるとすばらしい提案かと。


「CODE-E」第2話

切ります。


「さよなら絶望先生」第2話

監督も構成も制作会社もあまり好きな方々じゃなかったので不安だったのですが…絶望した、自分の人の見る目のなさに絶望した!原作をぱにぽにほど改変することなく、オリジナルの笑いを混ぜてうまく1話に仕立て上げております!ちょっとどのキャラの声優にも違和感を覚える(特にカフカ)のは、原作で勝手に脳内イメージを作り上げていたからですぐに修正されるでしょうし。


「D.Gray-man」第40話

リナリーのコスや腿以外にも見所が出来そうな新キャラ登場にちょっと嬉しかったり…ダメ人間ですね。