元号の「案」がいつの間にか公表されている。
何か、別にどんな案があって、「令和」に決まったなんていいと思う。
決定したのに、「こっちの方が良かったのに・・・」なんて言う意見が聞かれても、もうどうにもならない。
公表するなら、国民投票で決めるとかそうすればよかったのに・・・。
今更どうでもよい事がニュースになっている。
例えば、30年前にこんな事があって「平成」になったというのは物語だけれど、
昨日の今日で・・・興覚めの話題である。
あと、
「万葉集から取ったというけれど、実は中国の文献にも同じ文言がある」とか言っているけれど、
当時は、文化先進国の影響された日本文化だったのだから当たり前の事である。
候補に上がった「元号案」、日本の書物から取ったというものも、探せば中国の文献にあるはずですよ。
旧年の日本の学識人は、ほとんどが「子曰く・・・・」で育っているのですから。
けれど、けっして影響は受けていても、どこかの国の方々のように属国ではなかった。
この辺を勘違いしちゃいけないのですが。
日本は外からの良いものを取り込んで、自分の文化にするのがお得意。
一応、未だに外敵の属国にならずして(危ない時代もありましたが)文化があるのは、順応性が高く、外の良いものを吸収する国民性があるからだと思う。
「子曰く・・・」で育った人たちが、西洋の良き文化を受け入れ、そして、それらを独自文化にするのが日本である。
「西洋がぶれ」とか、「アメリカかぶれ」という言葉がありますが、
万葉集は当時の最新文化を発信する中国の文化にかぶれた人が編集したものなのですから、その人が参考資料にした文献が浮上してもごく当たり前のことと思います。
いいじゃん。候補に選択した人は「万葉集から選択した」と言っているのだから。
何か、「令和」という年代が始まってもいないのに、種明かしなんて・・・
無粋な世の中だなぁ。つまらない。