たぶん、うちの看護力はけっこう後進国かもしれない。
新しいという事は、やっぱり組織とかそういった大きな部分が影響しているか、なかなか個々の思いと言うのは伝わらない。
例えば、こんな問題を改善したいと思って病棟目標をたてても、組織自体が変わってくれないと変化しきれない事がある。
その組織を変える唯一の方法が研究である。研究とは思いつきとかひらめきの類ではない。
科学的に視点を向けて働きかけるものである。
研究は時間も体力も思考も使うので、なるべく関わりたくないものである。
が、昨年より、縁があって、
我が病棟から不要な身体拘束を減らしたいという問題提起から看護研究する事になってしまった。
私的には、看護学校の卒論程度の完成度を目指した研究であったけれど、アドバイザー的に医師の参加もあったりして、大事になってしまった。つまり、それだけ組織の期待が大きい研究にいつの間にか発展してしまった。
さて、そろそろ佳境に入った研究。かなり問題点が目に見えてきた。でもね、その問題点は私たち看護者が作っているもので、私たちの常識の改革が必要である。その改革自体が一苦労で一筋縄にはいかないと予想される。
が、試験的に、身体拘束の判断をツールにしたがって、問題を把握する事で我が病棟の24時間の身体拘束が激減した。
いかに、無駄に患者さんを拘束していたのだろうか。
「身体拘束必要性検討中」でインシデントレポートが通る事になって、スタッフの意識が改善されたのだと思う。
文献にもあったけれど、たぶん医療安全は私たちの保険であって、患者さん主体でなかったために不必要な身体拘束があったのだと思う。
さて、そんな中で私のデータを悪く悪くしてくれちゃう患者さんがいた。
必要最低限の身体拘束として、ミトンの必要性の検討を続けた患者さん。しかし、チューブを挿入されている事自体に拒絶感が強く、またまた苦痛の強い患者さんで。。。とにかくチューブ自抜頻回で身体拘束解除は困難と判断された患者さん。
しかし、今までの流れだと見過ごされていたんだろうけれど。。。
そんなにチューブ挿入されている事が難しいなら難しいなら経口摂取に移行する事を検討してもいいかも。
で、朝と夕が経管栄養で、昼のみ経口摂取のトライが始まった。
接触行動で特に問題の浮上は無かったけれど、当初は不安材料いっぱいであった。しかし、あっという間に経口摂取可能な状況になった。それは、ご家族の変化であった。遠巻きに関わっていた家族がある時から食事介助に参加したのである。それがきっかけで患者さんがもりもり食べるようになった。家族も、食べられるようになった患者さんを肯定的に受け止めた。
認知症があるので、本当の返事かは分かりませんが、
食べたい!美味しい!・・・
たった一週間の検討材料ですが、経管栄養から経口摂取に移行。よって、チューブを抜かないためのミトンは明日から解除となります。
このまま。経口摂取が継続してくれる事が最大の喜び事ですが、
とりあえず、試行錯誤して、やっとこの患者さんの代替策が浮上して、身体拘束が解除できた事がとても嬉しい次第でございます。
きっとたぶん、身体拘束をしていればとても地味な患者さん。
身体拘束に注目していなかったら、この患者さんは一生ミトンされたままでした。
ずっと人間としての自尊心を失った状態だったんでしょうね。
今後どうなるかは分かりませんが、とりあえず嬉しい出来事でした。