四月一回目@素敵過ぎのお稽古 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

桜の季節もあっという間。
今年は三連休もあったりしたのに、天候に恵まれなくてちょっと見のお花見で終了。
休みの翌日は良い天気・・・。最悪です。

すっかり葉桜の本日はお囃子のお稽古でした。
昨日の夜勤明けの疲れがちょいと残っていて、ああ、私も歳をとった事を実感・・・。

先日から始めた大皮。本日は『末広がり』。大皮というのは、各プレーヤーで結構違うもので・・・。
私の前の大皮の師匠はけっこう独特だったことを当時から感じていたんだなぁ。
だから、一般的な師匠からいろいろと去勢をしてもらいたいのだ。
亡くなった師匠。尊敬し並々ならぬ恩義を感じている。だから、教わった事の伝承はしたいと思う。でも、私には難しい課題です。
手的には一般でありたい。そして、ハートの部分は亡くなった師匠を伝承したいというのが正直な気持ちです。
伝統の世界で、自由が許される世界でも、それは亡くなった師匠の立場での事・・・。私には難しいと思うからです。
理屈の分かっている亡くなった師匠と違って、私は何も分からない存在。
その言い訳をしてくれる師匠もこの世にいないのです。
だから、とにかく普通を知りたい。
亡くなった師匠の事を忘れて、
「みんなそんな事打っていないよ」と教えてほしい。
でも、なかなかね・・・。
親不孝な私です。「師匠は独特」を感じていて、でも「私は師匠(亡くなった大皮の師匠)の弟子」という事で師匠を伝承すればよいと思っていた。
けれど、その後ろ盾を失って、私はどうすればよいかずっと悩んでいた。
それは私が「変」という風に思われるだけなら良いけれど、
亡くなった師匠が「変な事を教えた」と思われないか心配だってから。
大皮という楽器は「これじゃなきゃいけない」というものではない事は知っていたけれど、
やっぱり「一般」よいと思うのは、
高度成長期に生まれ育った私ならではの悩みなのかも知れない。
「人とは違う」という事に恐怖を感じる。
たぶん、師匠に私の気持ちは分からないだろう。そして、亡くなった師匠にもその気持ちは分からない。
「人とは違う」という事に対して恐怖心を持つ私には、本当は大皮という楽器は不向きなのかも知れない。
でも、大皮を打っているとなぜか幸せ。楽しい。

太鼓のお稽古は
御簾の太鼓を教えていただいた。『はや神楽』『さわぎ』『着到』『車切り』などなど。
よくか分からなかったけれど、録音した音でしっかり身に着けたいと思う。
幕開きとか、つなぎで活躍のもの。
舞踊じゃなくても、長唄の演奏でちょいと活躍できる知識。
とってもお得なお稽古でした。
たぶん、普通じゃ教えていただけない事。感謝、感謝です。