本日は夜勤明け。
お稽古は五時からなのですが、その五時のお稽古のために私はお昼の一時に起きないと支度ができない。
何かに余裕がないとダメなんですね。
普段でも、何かが早く準備開始。そうじゃないとダメなんです。
しかし、さすがに眠いらしく、きっちり起きるのに三十分も掛ってしまった。やっぱりそういう事があるから早め早めに計画しないとね。
という事で遅刻せずにお稽古は伺えました。
さて、本日のお稽古は「藤舎冬雪」として初めてのお稽古でした。初心に帰るという事でとっても緊張しました。
締め太鼓は『喜撰』。先日、最後まで行きましたが、あまりにダメダメちやんなのでもう一度やりたかったのです。辻打ちはスタートがやや遅れ気味で、ラストが早い・・・。うーん。逆だったらいいのにね^^ですって。
「癖がある」という事と「個性的」というのはある意味同じ事のようである。ただ、前者はあまり好ましくない時に使う。後者は肯定的な意味で使う。
私の太鼓は癖っぽい!・・・なのです。苦手故に、その苦手をカバーする誤魔化しがあるために癖っぽくなるのです。師匠に「癖っぽい」と指摘され、すぐにその理由が分かるのは、そうそう故意だからですね。
誤魔化さなくてもできるようにならないとなぁ。
小鼓の私はノーマルなのだそうです。が、太鼓については癖がある。どうも気が付いていなかったのですが、全身が音楽しているそうです。うーん・・・苦手だから、全身全霊を尽くしてやっているんですね。・・・きっと・・・!?
小鼓は・・・いやいや、かなり地味に全身が動いているように思いますが・・・。けっこうお行儀が悪いのです。
本日の小鼓のお稽古は引き続き『四季の山姥』。これも先日で終わりのはずですが、先日、あまりにダメダメだったので・・・。私からのリクウェストです。
初めの一声(一声と言っても、笛のひしぎから始まらない)。終わりが「ヒカエ止め」なのか「乙止め」なのか疑問が。普通の一声というと「乙止め」と理解しているのですが・・・。
美学の演奏。大皮を聞いていると「ヒカエ止め」を打ちたくなる。そして、小鼓を打っていらっしゃる方が「ヒカエ止め」を打っている。・・・で「乙止め」で習っているのですが疑問に思って質問。
久しぶりに、大皮の「打掛」と「打ち切り」(単語の名前は仰いませんでしたが・・・)の話が♪
そうそう、太鼓が入らない時は前者。太鼓が入ると後者。この一声の終わりは「ヌク打掛」(普通の打掛とちょいと違う)
大皮については遠い遠い記憶なのですが、「そうそう」と記憶が蘇るのが不思議です。
その昔、亡き師匠のところでは大皮を学んでいました。この「打掛」と「打ち切り」の違い。師匠に言われるまで気が付かず「馬鹿!」「怠け者」と罵られ、そして泣きながらその違いを伺った記憶があり、あの時の亡き師匠の声がいつも聞こえるのです。
名取になって、そうそう大皮も思い出さないといけないですね。
たまには大皮を触らないとなぁ。。。