花の友@これで最後の合わせ | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

『花の友』最後の合わせ稽古でした。

駄目だなぁ・・・。

クドキの「さばきかねたる中々に~」が私の分け口。きっとたぶん、ここって一番難しい部分だと思う。何故に未熟な私に・・・。

お囃子でも、タテは意外と見た目良く失敗しにくい部分が分け口。超ヘンテコリンなところはワキ以下の分け口になる。未熟ほど難しい部分が振られる。それと同じだなぁ。

とにかく「中々に、思いの丈の武田椅子」ここがガンです。

三味線がないとできるのですが、きっとたぶんそれは自分で適当に間を作っているからですよね。


『官女』は先日が最後でした。最後の合わせは夜勤に引っかかってしまった。

わたしゃ「夜勤」というものがあるから、普通の勤め人と違う。


さて、うちの三味線のお稽古場で「お囃子教室」が再開したらしい。

それこそ三十年とか三十五年とか、それくらい昔に堅田喜三久先生(我が心のアイドル様)を迎えてスタートした。母も開講の時から参加。羨ましかったなぁ。母は第一期生♪うちに憧れのお囃子を持ちこんだ。小鼓とか太鼓とかが身近なものになって、、、、

小学校の頃からやりたいと念願したお囃子を始めるきっかけになった。本当は心のアイドル様に習いたかったけれど、弟子はとらないという事で・・・。という事で、亡くなった大皮の師匠に師事した。

あのお囃子教室も二十年くらい前に無くなったと聞いていたけれど・・・。またまた四月から開講したらしい。


花の友のワキの方がお囃子教室に参加したそうだ。

お母様も某流派でお囃子をされていたそうです。

お話を聞いていて、ちょっと懐かしかった。そうそう、初心者の時はパッパラパーですよね。

私は、初心者育成上手の大皮の師匠に基礎を学んだので、きっとたぶん幸せものだと思う。今日に至るまで、パッパラパーという事がなかったからである。

私は、亡くなった師匠に大皮しか師事していなかったが、門前の小僧で他のお弟子さんのお稽古で小鼓も太鼓も何気に学んでいた。と言う事で、今の師匠のもとに入門した時も、非常に楽々という感じでした。

指導される言葉の意味も分かる。専門用語も分かるという感じでしたから・・・。

とにかく師匠も吃驚の私だったようです。

しかし、一般的には、

何もわからなくお手上げというのが普通。けっして覚えて言ってはいけないと思います。

お稽古前に完璧に予習する私自身を振り返って思います。

苦労して苦労して覚えたものの方が身に染まります。

サラサラと覚えるとサラサラと忘れます。ババ抜き稽古が始まって改めて思います。

しかし、幼きわが心をキュンと掴んだ我が心のアイドル様に直接習えるなんて羨ましい。

今や違う流派に所属している私なので、「いいなぁ」としか思えないけれど、、、

が、私は今やそんな余所事を思っている暇はない。とにかく今の師匠の芸を頂きたい。

でも、楽しそうな表情でお話していた♪そうそう、初心というのはそういうものだ。

はあ・・・。私はとんだすべっからしと思った。


と言う事で、帰りは勝連漬けで帰って来た。

何気に太鼓デビューがありそうだ。それも獅子もの・・・。

大丈夫か私です。