価値観とか、志とか・・・ | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

この世の中。色々なお稽古事を色々な人たちが色々な気持ちを持ってお稽古している事でしょう。
単に楽しさを求めてお稽古事をしている人もいれば、
自身の活性化を図るためにお稽古事をしている人もいる。
花嫁道具として、教養として・・・そんな感じでお稽古事をしている人もいるでしょう。

私は自身の活性化を図るためにお稽古事をしているのかな。
自分にとって、とても大きな存在になっている。仕事・生活・お囃子という三つが私を構成するもの。この三つがバランスよく位置している時が、私自身はとても幸せな状態である。
生活やお稽古事を支えてくれているのは仕事である。ですから、どんなに「働きたくない」と思っても頑張らなければならない。けれど、生活やお稽古事を犠牲にしてまで仕事に打ち込むということは私の中では皆無である。
たまにいるんですよね。何よりも仕事が大事でという人。おまけにそれを他人にまで求める人。上司に出会ってしまうと悲惨。
自分自身を支えている家庭は大切だ。自分が生きる基本に家族がある。この基盤となるものを壊してはいけない。
そして、お稽古は私の生きる活力の源である。お稽古があるから仕事も頑張れる。逆説的に言うと、仕事がなければお稽古はできない。家庭というものが平穏無事であるからお稽古に打ち込む心の余裕ができるのである。
もし、どれかを失う事があれば、私というもののバランスが崩れてしまう。何故、私として生きているのか分からなくなっちゃうだろうな。

さて、亡くなった大皮の師匠が常々仰られた。
「命がけで真面目に稽古事は取り組め。稽古事は自分のためにやっているんだろ。そうじゃなきゃ時間やお金を溝に捨てているのと一緒だ。俺は商売でお前たちに囃子を教えているわけじゃない。身を削っているんだ。それに対してきちっとできない奴は囃子なんてやる資格はない」
亡くなった師匠に出会って、習う者の姿勢というのを初めて教えられた。
以来、「習う」という事に対して「命がけで真面目に」という心構えを常に持つようになった。
大皮の師匠の教えのおかげで、看護学校もかなり優秀な状態で卒業した。
・・・学校は優秀でしたが、看護師として優秀かはかなり疑問。