桜狩りとか、紅葉狩りとかいう言葉がありますね。
「狩り」というと、狩猟をイメージするが、もう一つの意味として「探して歩く」という意味を持つのだそうだ。
ふむふむ、『末広狩』という長唄があるが、あれはつまり「(太郎冠者が)末広を探して歩く」という意味なんですね。何気に題名の意味なんて考えもしなかったので、「そうなんだ」と凄い事を大発見した気分になった。『桜狩』というのは、つまり桜の散策とか綺麗に咲いているところを探して鑑賞するという意味なんですね。
長唄『桜狩』は嘉永三年とか四年頃に作曲されたものという説と、弘化年間、安政年間など色々と節がある。作曲者も二代目芳村孝次郎という人の作品だという説と、十代目杵屋六左衛門の作曲だという説がある。
もともと旗本の次男坊だった孝次郎。家を飛び出して長唄の冨士田千蔵という人に弟子入り。その後、初代芳村孝次郎の養子となり、嘉永三年に養父の名前を継承する。その名披露目として、両国の中村楼にてこの曲を演奏したと言われています。
隅田川や吉原などの江戸の桜狩気分を描いた曲なのだそうです。
隅田川の桜は立派ですよね。浅草の墨田公園は今もお花見の名所ですね。
さてさて、歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒』の舞台や、舞踊の『吉原雀』など、背景に桜が描かれていますね。
しかし、吉原に桜の木ってないのですよ。本当に本当の話です。
吉原とは、遊興の世界で現実世界とはかけ離れている別世界。人の手によって演出された世界なのです。
吉原の大きな桜の木というと仲ノ町。旧暦の三月のお花見の季節。他所の大きくて美しい桜をまるまる持ってきて、仲ノ町にドカーンと植えちゃうのですね。で季節が過ぎると撤去しちゃう。
この仲ノ町は季節ごとに季節の花などをこうして植え替えて模様替えするのだそうです。本当に、四季を大切にする日本人の文化はすごい。いやいや、贅沢三昧の世界ですね。
そういえば、作曲者と言われる二世芳村孝次郎は「目玉孝次郎」と仇名がついていたそうです。きっと、ギョロギョロした眼の方だったのでしょうね。そうそう、現在の市川団十郎丈とか、無名塾の仲代達也みたいなあんな顔立ちの方だったかも知れませんね。
この「芳村孝次郎」と言う名前をのちのち使って有名人な人は四代目松永和風と言う人で、七代目芳村伊十郎(伊十郎全集の方)の前に売れていた唄い手さんです。そうそう、この方の『新曲浦島』を聴いたことがありますが、なかなか力強く素敵な唄い手さんです。
さて、両国の中村楼というのは、数々の浮世絵の舞台となっている江戸一番で大きな料亭だそうです。
中村楼は明治40年頃まであったらしい。ネットで調べてもあまり詳しく出てかったのですが、明治40年に「中村楼の建物が売りに出た」という文献を発見。
とにかくすごい料亭だったらしい。政治家や有名人たちがここを使う事をステータスに感じていたというのだから凄いです。
そうそう、明治29年に相撲界で「中村楼事件」というのが起こった。当時の会長が独裁者で、その独裁体制を改善するために数人の関取りがこの料亭に立てこもってストライキを起こしたという事件です。
相撲、ちょっとだけファンだった私は「中村楼」というと、こっちがピンと来ちゃいます。
中村楼で名披露目の会をする。すごいですね。たぶん、今でいう新橋の金田中や新喜楽といった老舗の料亭で名披露目のリサイタルをやるという感じですよね。いやいや派手ですね。
国立劇場で大きな会でお披露目もよいですが、贅沢に高級料亭でという方がカッコいいなぁと思います。
さあ、『桜狩』の予習に入りましたが、よい曲です。
辻内が途中入るのですが・・・、きっとここでお稽古撃沈するだろうなぁと、未来の私像が予測できちゃったりします。頑張ろう。