金沢の西茶屋街の二人 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

金沢の西茶屋街で笛の名手である峰子さんと小鼓の名手である乃莉さんの特集をNHKでやっていました。
峰子さんは八十四歳。乃莉さんは七十七歳。
私の前の亡くなったお囃子の師匠は、この西茶屋街の見番でお囃子の指導にあたっていらっしゃった。ということで、この乃莉さんという方は存じ上げています。(たぶん、あちらは覚えていらっしゃらないと思いますが)
東京の師匠のお稽古場に時々お稽古にいらっしゃっていましたからね。
飛行機を使えば日本なんて狭いものという感じ。
午前中に金沢から上京して、たっぷりお稽古されてから昼下がりになっておもむろに金沢へ。そしてお仕事。当時、私は三十路に突入するか否かの年頃。まだまだヤングでしたが、そのバイタリティーに吃驚した覚えがあります。
亡くなった師匠のお稽古というのは、とにかく“厳しい”が有名な方でした。その稽古を終えて、金沢に戻ってお仕事なんて・・・パワフルだ!!!

すっかり御髪が真白になられましたが、あのパワーは健在のご様子。
とても喜寿を迎えられた女性の小鼓ではないですね。
もう二十年くらい前の事ですね。稽古場で初めてお目に掛って彼女の小鼓を拝聴した時はその迫力に腰が抜けるほどでした。
芸に対する彼女の思いが一打一打にこもっているという感じですね。
音に命があって、その音がダイレクトに聴者の心をえぐっていくという感じでしたね。
亡くなった師匠は、芸に対して熱く、また一歩も譲らないという感じの方でした。
そして、弟子たちにも同様の心を求める方でした。「芸に対して真正面から向き合え」これが教えだったように思います。
未熟者だから「できない」ことが沢山あるんですよ。しかし、絶対に妥協を許してくれませんでした。
「うちの弟子の中でお前ほど怠け者はいない」といつも怒られていました。
久々に乃莉さんの小鼓を拝聴して、本当に私ほど怠け者で出来の悪い奴はいないなぁと思いました。
「お前たちには命を懸けているんだ!」と怒りの絶頂の際に仰っていたことがあるんですが、師匠が身を削りながら育ててくださったのに、私はこんなレベルです。親(師匠)不孝ものです。
「仕事が忙しいから」とか様々な言い訳を持って芸に向き合っているからなんだろうな。だから、私の芸には妥協ばかりだ。
芸に対して頑固で一歩も譲らない乃莉さん。今も健在。亡くなった師匠の芸に対する心の継承がなされているんですね。
私が喜寿を迎えたころ。彼女のような小鼓を打つことができるだろうか。
ある意味のプロである彼女と素人の私とではスタンスが違うから、同じように成長するとは思わないけれど、
あのような小鼓を打てる喜寿を迎えたいものです。夢だなぁ。

今、お稽古の課題が『勧進帳』なのだが、その稽古でフーフー言っている。
若い、若いと思っても確実に歳をとっているなぁと実感する。いやいや、まだまだ『勧進帳』でフーフー言っている場合じゃないですよ。この若さ(笑)で・・・。まだまだ未熟な証拠。自分にもっと厳しくあれです。

ところで、お笛の方はもっと吃驚ですね。八十歳半ばであのパワーの能管を吹けるなんて。
やっぱりこの方も芸に対し真正面から向き合い修練されたんだろうな。
いやいや負けてはいけないですよ。
ボサボサしているんじゃないぞ!