
十月二十日は“疼痛ゼロ”の日なのだそうです。
疼痛というのは痛みの事ですね。
JPAP(Japan Partners Against Pain)という組織があるのだそうです。
疼痛緩和を考える組織です。痛みも色々ありますが、基本的には癌による痛みを考えて行こうという医療者の集まりですね。
我が病院には、そのJPAPに所属している医師がおりまして、
この学会で貰って来たという、携帯ストラップとメモ用紙(付箋)をゲットしました。
十月二十日は疼痛ゼロの日・・・
へえ♪初めて知りました。
その医師も、外来でご自分の患者様に、「十月二十日は疼痛ゼロの日なんですよ」と宣伝したところ、「へえ♪知りませんでした」どころか、「疼痛って何ですか?」と聞かれちゃったそうです。
“疼痛”って専門用語なんですね。・・・それにちょっと吃驚。
確かに、“痛み”といいますね。“疼痛”とは言わないですね。
私たちも「痛みは如何ですか」と聞きますが、「疼痛は如何ですか」とは聞かない。
それなのに、“疼痛”は一般用語だと思いこんでいました。
“1020キャンペーン”なんじゃそりゃなんですがね。。。
https://www.jpap.jp/gen/1020/をご参照下さい。
私の亡くなった前の師匠は、胃癌で亡くなりました。最も悪いパターンのスキルスで、そうそうちょうど今頃だったな。
最期・・・最後?・・・のお稽古の時に
「俺は胃癌だ。手術をすれば三年、しなければ余命三ヶ月。俺は手術なんてしない。そしてまた死なない」・・・なんてカッコいい事をちょうど十四年前の今頃に仰っていました。
何か、師匠なら癌なんて屁の河童で乗り越えてくれちゃう感じしましたが(ちなみにその頃は素人でした)、やっぱり癌はそうは甘くないですね。
師匠は自分を律するのに匠けていた方でしたので、お仕事のお仲間や弟子の前ではちっとも病気を感じさせませんでした。
でも、カバン持ちで歩いていて・・・
うーん、何となく日に日に衰弱する師匠を感じました。
師匠は私たちには病気を告知していましたが、人気商売ですから、お仕事の仲間には告知されていなかったのですね。でも、日に日に衰弱されている師匠を感じていた方はいたかもです。
頑張りやの師匠も、十一月末まではお仕事に忙しく飛び回っていましたね。
しかし、十二月に入って、とうとう動けなくなって病院に入院。食べられなくなっちゃったみたいで、今思えば高カロリー輸液をしていましたね。基本的に積極的治療をしないという事で、栄養状態の改善のためのみに入院したみたいです。
そして、一月にはご自宅に戻られました。当時は緩和医療もそう盛んではなかったので、積極的治療しないなら帰りなさいだったのでしょうね。
で、訪問看護を入れてIVHのみで二月まで生き延びました。
師匠の亡くなる前日、
「風呂に入りたい」と言い出だして、奥様と奥様の知人の方と抱きかかえながらお風呂に入れたそうです。きっと、綺麗好きでダンディーだった師匠。最期を悟ったのかもです。
綺麗に旅立ちたいとね。。。。
師匠の場合、緩和医療の手が入っていませんでしたが、もし、緩和医療の手が入っていたら、
もっともっと長く師匠は師匠らしい生活を送れたことでしょうね。
長唄の美学の何曲かに師匠は出演されていますが、
痛かったんだろうなぁ・・・と思われる様子が分かるような録音物があります。
どの三番叟だったか・・・うーん・・・
三番叟の大皮は師匠の命です。ですから、あの大皮は絶対に師匠じゃないのです。
でも、声は師匠なのです。・・・出演者のところにも師匠の名前がありましたし・・・。
きちっと痛みをコントロールしていれば・・・
今、私は医療関係の仕事をしているでしょ。
師匠と同じように、痛みで苦しむ人たちを幸せにしたい。
これが私の看護師である意義なんですね♪
患者様の疼痛と向き合うためには、もっともっと勉強が必要だなぁ・・・