
卒業公演は北村想氏の『十一人の少年』という芝居。
この当時は、本当に有能な劇作家たちがいて日本の演劇界をひっぱっていた。
小劇場運動の真っ盛りの時代で、新しい演劇がいっぱいいっぱいだったなぁ。
そんな様々な演劇に刺激され、あの当時の私は生き生きとしていたと思う。
人間にとって「思考」というのはとても大切な機能だ。しかし、その機能があるゆえに悩んだり、悲しんだり、苦しんだりする事もある。
その思考を代償にする保険。「あなたは常にハッピー」。
そりゃいいね♪悩んだり、辛かったりしないんだ・・・。しかし、裏を返したら幸せだったり、楽しかったりというプラスの思考も奪われる。何も感じない人間・・・。狂気だな。
私は、人々の思考を頂戴する保険セールスレディーの役だった。
演出は文学座の藤原新平先生。大好きな先生だった。その先生を通して別役実の芝居に出会う。そして、彼の芝居からベケットに出会い、そして不条理劇に出会う。
はだか舞台に電信柱が一本の殺風景な舞台にドラマが。そんな舞台に出会い憧れた。
歌舞伎・新派・時代劇。そんなゴテゴテに飾った舞台。かぶくという世界に憧れていた私に、殺風景な舞台装置でドラマが展開される新しい芝居に衝撃を受け、これぞ芝居と思ったのですね。
この出会いで、結局は目の出ない役者崩れになってしまったのですが、それでも、藤原先生との出会いは私にとって大きかった。
観客の想像力に訴えかけて、我が演技力によって裸舞台がその辺の野っ原になったり、豪華なベルサイユ宮殿になったり。これぞ役者の仕事だと思った。
しかし、芸術的観点では素晴らしいけれど、
商業的にはどうかと言えば。。。やっぱり、絢爛豪華な夢の世界の方がお客様には喜ばれる。
役者的にはやりがいのある世界でも、仕事的にはダメな世界だぜ。
既にキャリアの役者なら別だけれど、駆け出しの者がこういった芝居で食べて行くのは難しい。
結局、生活が忙しくなって様々な自己鍛錬の時間を失ってしまうから、役者としての質が落ちる。
そんな感じの役者が集団となって「新しい演劇」を志すけれど、結局は自己満足なものにしかならない。
また、そういった芝居は商品価値がない。商品価値がないもので稼ぐ事はできない。
。。。
そういう事をもっともっと早く気が付けばよかったなぁ。今さらだけれど。
役者としてきちっとした基盤を築ける道を選択するべきだったのに、その段階で「やりたい芝居」の道を選択してしまった。過去を振り返って、この辺りの進路選択のミスを少し後悔。
しかし、違う道を選択していてもどうなっていたか分からないし、後悔しても仕方がない事だ。
尊敬する藤原先生と共に、藤原ワールドを作り上げる事が出来た。これが人生の中で一番の幸せだったなぁ。
卒業公演は三船プロの第一セットに舞台を作って上演した。その後、すぐにこのセットは無くなった。華々しかった三船プロの滅亡。栄枯盛衰の時代の終止符を共にした。
学校生活とは別に現場で下積みしていた私。何気にこのセットと共に卒業という事にきっとたぶん他の同期生とは違う思いがあったかも知れない。思い出いっぱいのこの場所でした。
ある時代劇の女郎役で煙管をふかさなければならないカットがあった。それが煙草初めて物語かな。次に『ハッピーエンド』の灰色の女をやることによって役作りのためにタバコを吸う姿を研究した。
そして、この芝居でも・・・。はははっ♪
「私はテンターなど吸います」という台詞があった。劇中で煙草を吸うシーンは無かったけれど、この役を理解するためにテンターを吸っていた。当時、ニコチン・タールの少ない軽いタバコがお洒落になった時代。こうした、台詞の拝啓で時代が分かる。
今は禁煙のカッコいい時代だから、
「あんた煙草吸うの」と非難を浴びるような台詞。
「私は煙草なんぞすいません」という台詞に代わっているかも。
役者をやっていた名残でずっと煙草を吸っていたけれど、数年前に禁煙した。
健康のため・・・
いやいや、長唄『松』を打つためだった。
今の私には煙草は不用の世界にいる。大曲を表現するにあたって・・・やっぱり、喫煙していると息が切れる。だからやめた。
芸のために始めた煙草。そして芸のために煙草をやめました。
彼氏に「煙草やめたら」と言われても辞めなかった。けれど、やっぱり「芸」の力ってすごいと思った。芸の力で禁煙したよ♪