前進座劇場に幕 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

今、身の回りで「残念」という感嘆な声があちらこちらから聞こえている。
前進座ホームページに「前進座劇場閉館のお知らせ

前進座は武蔵野市に存在しますが、三鷹市井の頭と杉並区松庵、武蔵野市吉祥寺南との境目近くにある劇団です。
明治以降、西洋から新劇が入ってきて日本の演劇史を変えた。また共産主義・社会主義というものが上陸し演劇界にも影響。社会主義を背景においたプロレタリア演劇というものが日本演劇に影響を与えた。
昭和六年。四代目河原崎長十郎・三代目中村翫右衛門・五代目河原崎国太郎・五代目嵐芳三郎・六代目瀬川菊之丞・藤川八蔵・坂東調右衛門等が松竹から脱退し、市村座にて新しい演劇・歌舞伎を目指して旗揚げした。これが前進座だ。のちのちこの武蔵野に多くの前進座関係者が住まいして、このあたりは“前進座村”と呼ばれた事もあったそうだ。
1982年に松本清張等の支援者の協力を得て前進座劇場誕生。十月に杮落しされた。
以降、劇団の興業だけではなく、他の劇団の演劇興行や邦楽関係および日本舞踊等の演奏会・お浚い会・リサイタルなどなどにこの劇場は使われてきた。
その劇場が、来年の一月の公演を最後に閉館してしまう。

私は幼少から二十代半ばまで三鷹市井の頭に住んでいた。
前進座は地元の劇団という意識を子供の頃からあって親しみを持っていました。
そんな劇団の劇場が無くなってしまうのは寂しい事です。

さて、東京には数々の邦楽演奏会を開催できるホールがありました。
けれど、需要が少ないというのもあるでしょう。また、建物が老朽化もあるでしょう。
どんどん姿を消しているのが寂しい限りです。
この前進座劇場もそういった目的で使用できるホールでした。
また一つ燈火が消えちゃう。
邦楽人としても、とっても残念で仕方がありません。


ちなみに譲渡される病院。子供の頃に二回ほど入院した事があります。かなりやり手の経営者で小さな診療所から今の規模まで育て上げた。たぶん、病院の名前が変わったので世代交代があったと思われますが・・・更に拡張ですか。すごい事です。
でも、あまり受診したいと思わない病院ですね。二回も子供の時にお世話になってますがね。。。