えびす様 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

長唄『七福神』。前述したように登場人物はえびす様と大黒様である。
歌詞の中に「えびす三郎」と言う名前が出て来る。
ふと、エビス様=蛭子。蛭子とはイザナミとイザナギとの間に生まれた最初の子供。それも、未成熟児で生まれた事を理由に海に流されて、その上、子どもとしての数に入れてもらえない可愛そうな神様。一応、最初の子供。なのに「三郎」???どうして?
西宮神社で祭られている蛭児大神の別名が夷(えびす)三郎。もともと「夷」と「三郎」は別々の神様だったらしい。「夷」=「蛭子」のこと。「三郎」=「事代主命(大国主命の子供)」のこと。
えびす様というと、狩衣姿で右手に釣竿を持って、左手で鯛を抱えている姿で描かれていますね。
事代主命様も、出雲の美保崎で魚を釣ったという伝承から、魚と釣竿を持った姿で描かれるようになったといわれていまする。つまり、お二人ともそっくりな姿で描かれてしまったので、室町時代に入って夷と三郎が混同。一体の神様と考えられるようになってしまったとか・・・。
室町時代中期頃から、えびす様と大黒様を一緒に祭るのが流行ったらしい。「親子並べてお祭りすれば御利益二倍」と考えられたからだそうです。
つまり、えびす様は大黒様の子供。つまり、事代主命の事であってイザナミ・イザナギの子供の蛭子ではないという事ですね。

調べると、えびす様はとてもなぞ多き神様である。
・蛭子説
・事代主命説
・鯨を神格化したという説、などなど

蛭子は天照大神の兄である。三歳になっても足腰立たない蛭子は葦の葉で作られた小舟によって海に流された。その後、蛭子は竜宮の王である竜神に拾われ養子となる。七歳頃まで竜宮で育つが、その後、天界に戻される。天照大神に「お前は天界よりも格下の竜神の子として育てられたのだから、人間たちを守る神となる事ができるであろう」と命じられ、今のような福の神となったと書かれた文献があった。
ふーん・・・。神様にも格上とか格下とかあるんですね。清らかな神の話なのに「俗っぽい」と感じた。

たぶん、蛭子を表現する文章から、今でいう「小児麻痺」のような状態だったのではなかろうか。
イザナミとイザナギは兄と妹という説がある。つまり近親相姦。その事が原因で障害を持った子供が生まれてしまったのではないだろうか。その後もアワシマという子供が同じような感じで生まれる。アワシマも蛭子と同じように海に流されてしまう。(このアワシマの将来・・・どうなったか諸説あるが、淡島神社の御神体とは別と思われる)
親子・兄妹の間の婚姻を認めないのは、一番の理由は道徳的いかがな事であるかという事であると思うが、近親相姦によって出来た子供に障害が出やすいと言う事も大きな理由だと思われる。
しかし、蛭子やアワシマのような子どもが生まれてしまった理由はそういう事ではないのですね。
「女性の方から率先して求愛したから」
・・・
・・・
ありえない。
しかし、日本的だなと思う。「女性は受け身でなければならない」そういう女性像を善とす傾向に日本文化はあるように思う。
自ら積極的に愛を告白し、結婚を求めるなんてはしたない。
男性よりも一歩も二歩も下がって、やや伏し目がちに目立たぬように立っている姿が美しいとされる。
きっとたぶん、この「イザナギとイザナミの睦み事」に由来しているのだろうと思った。

さて、大黒天というのは、実はヒンドゥー教のシヴァ神の化身と言われている。
つまりメイドイン日本の神様ではない。シルクロードを通って日本に伝えられた神様らしい。
日本では穏やかな笑顔がチャーミングな神様だけれど、ヒンドゥー教の世界では恐ろしい形相の神様らしいです。
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写真は「ここ 」から拝借しました

大黒様はスサノオの娘に一目ぼれ。スサノオに結婚の許しを得ようとするのですが、いくつかの試練を与えられる。
その一つに大黒様は焼き討ちに遭うのですが、その危機を救ったのがネズミなのだそうです。
と言う事で、大黒様にネズミはつきものなのですよ。
スサノオの娘は正妻でスセリビメという。事代主命、つまりえびす様のお母さんはカムヤタテヒメという人らしいです。一夫多妻制の時代。大国主命も沢山沢山奥様がいらっしゃいます。
命がけでスセリビメをゲットしたのに、スセリビメ一人では落ち着かず沢山妻を娶るなんて今の感覚ではよく分からないのですが、当時の感覚でいうと「それとこれは別の話」なんでしょうね。

さあ、とりとめないレポートになってしまいました。
しかし、こういった神話の世界もなかなか楽しいものです。