先日の豪徳寺に行った時、三味線屋さんで「江戸時代の三味線」の写真を見せて頂きました。
どなたかがその貴重な三味線を保有していて、昨年の江戸博物館で展示する為に修理をしたのだそうです。
そして、なんとその展示会ではその三味線の音色をご披露したとの事です。
三味線には、太棹・中棹・細棹とがあります。
太棹は浄瑠璃とか、津軽三味線なんかその分類です。
中棹は、小唄などに使う三味線です。
細棹は、長唄などに使う三味線です。
今の長唄用の三味線。確かに棹は他の三味線に比べて細いのですが、この江戸時代のものに比べたら中棹?と思っちゃうくらいです。
また、胴の部分も今に比べたら厚みが薄いのが特徴でした。
たぶん、昔と今では三味線を弾く場所のキャパが違うのでしょう。その為に、今と昔では奏法も違ったし、三味線自身もそのキャパに合わせた造りをしていたのでしょうね。
そうそう、小鼓なんかもそうなんですよ。
もともと、小鼓は能で使う楽器でしょ。昔の能は能楽堂みたいな屋内でやられるものではなくて、外で演じられるものだったのですよね。
変な話し、戦国時代などは明日の戦闘準備に士気を上げる為に戦場で一指し舞われちゃったりしたのですよね。
ですから、屋外でよい音がするように作られていましたが、歌舞伎など屋内で使われはじめて、屋内でよい音がするように改良されたんですよね。
そうそう、以前の浮世絵中の邦楽器の展覧会で、天神という場所に蒔絵が施されているお話をしましたが、その江戸時代の三味線には、胴の部分に萩か何かの蒔絵が施されていました。昔の楽器というのはお洒落です。
。。。なぜ、今の三味線には蒔絵が施されていないのでしょうか。。。ちょっと疑問です。
そういった楽器を持っていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、一般に三味線には蒔絵は施されていない気がします。長唄関係者の周りでそういったお洒落な三味線を盛っていらっしゃる方はいないように思います。
そうそう、昔の三味線は面白い仕組みなんですよ。
今の三味線も持ち歩く為に、三分割できるんですけれど、昔の三味線はもっとコンパクトになるんですよ。
ちょうど、胴ぐらいの大きさの箱があれば入っちゃう感じです。
今に比べて、三味線も庶民の生活の中にあった楽器ですから、いろいろ工夫されていたんでしょうね。
たぶん、組み立てるのが面倒で今の形になったのでしょうね。
持ち運びに便利で、ささっと準備ができて。。。これがいまの構造が一般化された理由ではないかと睨んでいます。
さて、私の家にも以前、私の曾祖母から譲り受けた長唄用の三味線がありました。やっぱり、棹は現代のものより華奢なもので、手の小さい子ども時代には扱いやすくて、愛用していました。その三味線は、ちょっとした事故で棹が折れちゃって、修復不可能という事で今はもう家にはありません。
さすがに、明治期の三味線ですし蒔絵は無かったです。
なんか、江戸時代の三味線を見て、曾祖母から譲られた今はない三味線を思い出しちゃいました。
貴重な出会いだったので、ブログに書こうと思っていて忘れていました。
写真があれば最高なんですけれど。。。
もし、興味ある方は豪徳寺のK琴・三味線店に行かれて聞いてみてください。もしかしたら、写真を見せて下さるかもしれません。・・・でも、ご商売している訳ですから、商売の邪魔にならないように気を付けて下さいね。