
今日は所用があって、中野坂上に行きました。
中野坂上には、宝仙寺という有名なお寺さんがあります。よく著名人のお葬式をやっている気がします。
お寺さん自身はとっても古いらしいですが、この中野坂上に来たのは戦後らしいです。もともとのお寺さんは昭和二十年に戦争で焼失してしまったようです。昭和二十年って・・・終戦の年ですよね。。。はあ。。。

陽が当たらないところはすごっく寒いのですが、日向はポカポカとしていました。
本当に穏やか。空がとっても綺麗な一日でした。


この宝仙寺には、石臼の供養塚があります。
近代に入り機械化が進み石臼なんて使わなくなりましたよね。
まあ、個人のお宅では使っているかもしれませんが、工場などの商売では使いませんよね。
五十代住職が、機械を導入した事によって、不用になった石臼が道端に無造作に棄てられているのを見て、大変心を痛められたそうです。「今まで、人の食に貢献した石臼。きちっと供養するべき」と住職が一つ一つ運び、ここに積み上げたのだそうです。
なるほどです。
人が生きるという事は、様々なものの世話になって成り立っているものですよね。
しかし、あまりにも世話になっている事が当然なので、感謝をするという事を忘れてしまいます。
昔の人は、ご飯を食べる前にコメを作ってくれたお百姓さんや、お魚を摂ってくれた漁師さんなどに感謝の心を示してからご飯でしたが、今の人はそういった事もしませんね。
そうそう、最近は身近なものどころか、人の親切に対しても感謝するという心が薄れている世の中ですね。
「ありがとうございます」
こんな簡単な言葉が言えない淋しい世の中になってしまいました。
五十代ご住職が今の世の中を知ったら、怒り心頭かも知れません。
人は様々なものの犠牲・貢献によって命を育んでいる。それは生きるため仕方が無いこと。だから、そういったお世話になっているものに対して、日々感謝して生きていかなければならないのですよね。