気が付けばもう40代。

 

たっくさん失敗したし、たっくさん笑った。

そして泣いた。

 

一度振り返ってみたいと思ったので

私の人生の歩みを出生から

書いてみたいと思います。

 

前回の内容


 

あれは6年生の頃だったか。

 

 

 

クラスで合唱のピアノ伴奏のオーディションをやる。

という話になっていた。

 

 

 

候補者?やりたい人?がエントリーして

皆の前で弾くというものだった。

 

 

 

 

だけど

課題曲も渡されぬまま

それはなくなった。

 

 

 

そして気が付いたら

私以外の人達に決まっていた。

 

 

 

伴奏が決まった子からは

すっごい笑顔で

「弾かないで決まっちゃったね!」

とはつらつと言われた。

 

 

 

私のそばにいた親友はそれを聞いて

「なにあれ!?」と切れていた。

 

 

 

そんな時でも私は

笑顔で「そうだねー。」と言ってしまう。

 

いつからなのか分からないけど

笑顔で気持ちを誤魔化すのが普通になっていた。

 

 

オーディションについては

なにがどうなって、

そういう事になったのかは分からなかった。

 

 

 

 

でも母に言ったら

「あんたがずっと伴奏やってたけど

ずっとやりたかった子がいたのかもね」

そういわれた。

 

 

 

私は泣きながらレッスンを受けて

皆と同じステージに出ていたのに

 

ピアノを弾く自分をよく思わない人がいたんだ。

 

 

 

そう思うと頑張ってやってきたのが

急に虚しくなった。

 

 

 

 

もう1つ、ピアノで落ち込んだことがあった。

 

 

 

後にも先にもこの一回しかなかったのだけれど

母が生徒たちをコンクールに出そうとした。

 

 

 

私もメンバーに入っていたはずだった

でも、気が付くと外されていた。

 

 

 

理由は練習不足だから。

 

 

 

 

言わなかったけど、納得できなかった。

だって生徒の中で私が一番うまいと思っていたから。

それどころか、母よりうまくなれると思っていた。

 

 

 

 

コンクールには日曜日のレッスンに一緒に出ていた

お姉さん2人が出場した。

 

 

 

 

確か、特に入賞したとか何かになったとかはなく

がっかりして帰ってきていた。

何を目指して出場したのかは分からない。

 

 

 

コンクールの当日、家には叔父がいた。

叔父は私にコンクールでないの?と聞いた。

 

 

 

私は「練習不足だからダメなんだって」と言った。

そんなこと言いたくなかった。

惨めだった。

 

 

 

 

小学校のいつ頃からだったか

私はピアノの試験を受けていた。

 

 

 

 

生徒の中で私が一番級が進んでいるのに。

なんで私が出られないのか。

不満で仕方がなかった。

 

 

 

 

こんな思いをして

どうしてピアノを続けているのかも分からなかった。

 

 次回へ続く