今日ずっと考えていたこと | 脊髄腫瘍と私

脊髄腫瘍と私

2016年8月、脊髄腫瘍と診断されました
同じ病気で戦っている方とつながりたくてはじめました

今日は仕事、お休み。
大掃除ほとんど手つかずで。
低いところ、高いところ、重いものは出来ないので退院後から月1 度メリーメイドさんにきてもらっている。
今月、来ていただいた時にキッチンの床下収納、吊戸棚、引出し等を一緒にやりましたが、まだ引出しが半分残っていて。
自分でできそうな2箇所やりました。
それと明日から4連勤なので夕食の作りおきと。
まぁ、4連勤といってもフルじゃなくなったので速くには帰ってくるのですが…
いつ、痛みや痺れで動けなくなるかわからないので。

そんなことをしながら考えていました。

私は仕事大好きでした。前職場は本当にブラックで休みもとれず。
だから痺れがあったにも関わらずなかなか病院いけず発見が遅くなったと思っています。
そんな職場でも仕事は大好きだったので子ども達は7ヶ月から保育園。
しかも毎日1番最後のお迎え。
なんなら迎えにいって子ども連れて職場に戻ったことも。
そしてまたへんなところに几帳面?で。
掃除や食事に手をぬけない。
また、好きで自治会の役員、子供会の役員、習い事のまとめ役なんでもやっていました。

今思えば、それで身体が悲鳴をあげたのかもしれません。
正直、今、この身体になっていなかったらまだやっていたでしょう。

でも、もうやりたくても出来ません。
病気発見前に転職した職場、本当に働きやすくて。
フルで働けなくなったのは非常に残念。
だけど今は好きな時に出勤すれば良いと言われなんとありがたいことか。
月10日ほどですが身体のこと、家事などを考えるとそれがちょうど良いのかな?
家事も以前よりは手抜きしているし、夫にも頼っている。
でも、もともとかなり細かいから夫やメリーメイドさんからみたらビックリされてしまうけどこればかりは私も許されない部分なので仕方ない。
そんなこんな考えていたら身体は辛いけど、好きなように仕事いけて、家事 も出来ないことがあって自分にイライラすることはあるけどなんとかこなせて。
月の半分以上は子どもにお帰りと言えて。

退院後、歩くことだけではない。生活 も病気前までの状態に 戻したいと思っていたところも少なからずある。
でも、こうやってゆっくり生活するのもありだなと思えた。

反抗期から抜け出し中の 娘と反抗期に足を踏み入れた息子なので言い合いになったり、疲れて夕食前眠ってしまったりでべったり一緒ではないけど、でも一緒にいる時間が増えたことも大きい。

病気はとばしつづけていた私をとめてくれた。