きのう、妻が旧友との会合から帰宅し、わたくしに話ました。
妻「宏明さん(私のこと)の仕事って特殊!ネ」
妻「友達に、夫がリタイアし、いまは占い師をしていると話したら、急にみんな黙り込んでしまったのよ」
私「・・・・・」
私「残念ながら、世間の一般の評価はそうだと思うよ」
なかには、妻の友達のおひとりですが、わたくしに鑑定のお客様を紹介してくれた方もありますが、それは珍しいほうです。
さて、日本では占い師や占いを業としている人の社会的評価はまだまだ低いものと認めざるを得ません。
職業として「占い師」と公言できる人がどれくらいおられるでしょうか?
占いのニーズや需要は、昔もいまも変わらず、おそらく将来も不変だと思うのですが、占いや占い師に対して、古来よりネガティブなイメージを抱いている方が少なくないのが現状のようです。
これは、ある意味、致し方ないのかも知れません。
占術を学問として扱う公の機関はないのですし、いまでもカルチャー的な文化教室で扱うのが占いだと考えている人が多いようです。
また、これは非難を浴びるのを覚悟で申し上げますと、非常に低料金で短時間の占いを薄利多売的にされている占い師さんもおられます。
それは、わたくしに言わせると時間切り売り業で、本来の占い師の仕事ではないと思います。
反対に、占いをしてもらう側のお客様にも問題があるように思います。
ひとつの指針や心の拠り所にしておられる方はいいほうで、単なる気安め癒しのレベルに考えている方もおられます。
もちろん、エンターテイメントとしての占いも否定はしませんが、それだけで終わってしまうのは残念至極です。
わたくしが、本ブログ等で紹介しています欽天四化紫微斗数や八字などの高等な命術は、“人間の本質”に迫るものです。
命式や命盤をみる心構えのひとつとして、「どうして自分は、このような星の下に生まれてきたのか・・・(よい意味と悪い意味を含めて)」ということを、まずは自問自答しなければならないと思っています。
少なくともわたくしの教室で勉強されている生徒様は、同じようであってほしいと願っています。
易経から派生したこれら命術は、用い方によっては、いかなる学問より頼りになると思います。
日本に較べて、台湾では、命理をされている老師の社会的評価は高いように思います。
わたくしは台湾並みといったら語弊があるかも知れませんが、日本の占い師の世間的評価を高めたいと願っているひとりです。
きょうもお読みいただき、有り難うございました。
芦屋占い処・占風鐸 代表 田中宏明
芦屋占い処・占風鐸