他者に対して批判的な気持ちになるときが
大抵の人はあると思います。
そして
その批判は
あくまでも
自分の価値基準に照らしたものです。
その上
その人の一部分に対してにすぎません。
他人について、全てを知ることは不可能ですから。
なので
他者を批判するときは
どちらかというと
自分の価値基準や人を見るときの視点など
自分自身について語っている
という効果の方が
存外、大きかったりします。
たとえば
「女なのに出しゃばりすぎだ!」
と批判する人がいたら
「この人は女性は意見を言うのを控えるべきだと思ってるんだな」
とわかります。
「あのお母さん、派手すぎない?」
と批判する人については
「母親というのは地味なファッションでいるべきだと思ってるんだな」
ということがわかります。
数年前だと思いますが
セクシャルマイノリティの人への差別発言をした政治家についての
街角インタビューを見ていたら
「今の時代に合っていない」
という意見ばかりだったので
報道側は「時代に合っているかどうか」という
基準なんだなと思いました。
インタビューに答えた人の中には
「性別の自認や性的指向によって差別すべきではない。
個人的に受け容れられない人もいるだろうし
それを受け入れろとは言わないけれど
政治家(公人)の発言としてはいかがなものか。」
という人もいたはずだと思うけれど
ニュースでは
「時代に合わない」意見ばかりしか報道されなかったので。
時代に合っているかどうか
というのは
今の時代におけるマジョリティの意見かどうか
ということですから
「報道側にとっては、マジョリティかどうかが大事なんだな」
と、少しばかりがっかりしたのでした。
そういうわけで
自分が他者について批判したくなったときは
「これは、わたしのどういった価値観から起こっているのか?」
を考えてみるのは、大切なことかもしれません。
自分にとって大切な意見を表現しているときと同様
他者を批判しているときも
自分のひととなりを露呈しているのです。