「人に敬意を払うとはどんなことだと思いますか?」
何度か、こんな質問をされたことがあります。
クライエントさんからだったり
心理職仲間からだったり
友人からだったりするのですが
折に触れ聞かれることなので、ここに書いてみたくなりました。
「敬意を払う」とは
その人の歩く道、選択を大切にするということだと
わたしは思っています。
自分が歩いてきた道を自分の道として大切にすることは
自分に敬意を払うということだし
他者に対しても同じことなのかなと。
苦しい思いをしたりしながら、山を登る。
登りつめたところに、素晴らしい景色が広がって
「ああ、わたしは幸せだな」
と、思う。
そんなとき
まだ、登っていない人に
「こっち、こっち。この道を登って来れば、ここに来られるわよ。」
という。
この素晴らしい景色を観てもらいたいから。
どんなに呼んでも
その相手が、その道を登ろうとしないとき
「この道を登ってくれば、ここに辿り着くのに。。」
って、残念に思う。
イライラしたり、腹がたったりするかもしれません。
けれど
もしかしたら
その人には、別の道のほうがいいかもしれないのです。
自分が来た道には
澄んだ泉が湧いていて、喉を潤すことができたし
この道がいいのよと思っていても
その人には
別の道に生えている、白い花の香りが必要かもしれない。
それどころか
もしかしたら
辿りつく頂も
少し右奥にみえる 、こことは違う頂かもしれない。
そこに広がる景色こそが
その人にとって素晴らしいのかもしれない。
それと
もうひとつ
その人は、確かに頂の景色をまだ観ていないのだろうけれど
わたしが知らない湖の素晴らしい景観を知っているかもしれないのです。
道はひとつではないのです。
そして
辿りつく先は、わたしが知っている場所とは限りません。
この視点を持ち続けることが
敬意を払うということなのだと、わたしは思います。
人にはそれぞれ、歴史がある。
ひとりひとり、その歴史ごと尊いと思います。