「どうしてカウンセラーになったのですか?」
と質問されることが、よくあります。
きっかけになったのは
犯罪被害のトラウマ解放ですが
それは、ただのきっかけに過ぎないので
この質問の答えにはなりません。
できるだけ正確に答えるとすれば
「生きてきたら、ここに行き着きました」
ということになります。
中学生くらいから
人の打ち明け話を聴くということが起こり始めました。
とても仲の良い間柄というわけではなく
あまり話したこともないクラスメイトとか
友達の友達とかが
たまたま2人になったときに
「今まで誰にも話したことがないのだけれど・・」
という打ち明け話を始めるのです。
― ああ、そうだったんだ。一人で抱えて苦しかったね。
わたしは、その人が抱えてきた時間を思いました。
そして
誰にも話さず抱えてきたことを
さほど仲良くしているわけでもない、わたしに話した勇気に
尊敬の念を抱きました。
― すごいなぁ、この人!
成長するにつれ
打ち明け話を聴くことは増えていきました。
なんでだろう・・
もっと身近で仲良くしている人がいるのに
なんで、わたしに?
考えてもわからないので
何人かに聞いてみました。
「だって、あなたは『ええええーー!』って驚かないでしょう?」
え、どういうこと?
それって驚くことなの?
驚かないことは
わたしにとっては、あたりまえだったので
「驚かないでしょう?」と言われて、驚いたのです。
誰にも言えずに抱えてきたほどのことだから
稀有な体験であることが殆どです。
「こんなこと・・びっくりして引かれるだろう・・」と思うと
聴いてもらいたくても話せなかったり
驚きのあまり「信じてもらえないかも・・」と怖くなるというのです。
そうか。
目の前の人の稀有な体験を知ったとき驚かないというのは
話す側にとっては安心感に繋がるんだ。
わたしにとっては、驚かないのがあたりまえだけれど
あたりまえすぎて気づきませんでした。
こんな「あたりまえ」が人の安心感につながる宝物だったんですね。
そういった宝物は
まだ気づいていないだけで、それぞれが持っているのではないかしら?
ほんの少し気をつけてみると、気づくのではないかしら?
では、どんなことに気をつければ気づきやすいのか。
長くなるので、続きは明日。