世の中には
多くの理不尽な差別があります。
その背景には偏見があり
その偏見は
育ってきた文化の中で培われてしまったものです。
新しい視点を得て
「これって偏見だったんだ」と知り
考え方を修正することはできます。
考え方を修正することで
しっかり腑に落ちる場合は、簡単です。
考えと気持ちが一致していますから。
ところが
頭では理解できても
感覚的に受け容れられない場合もあります。
「それは偏見だ」という考えを持ちながらも
感覚的に気持ち悪いと感じてしまうという場合です。
考えは修正できても
感じてしまうものはどうしようもないのです。
それでも
頭では偏見だと理解しているので
行動を修正することはできますし
そうすればいいのです。
ただ
考えと気持ちが一致しないので
しっかり腑に落ちるということが難しい。
頭は、偏見を持っていないにも関わらず
気持ち的には、偏見を持ったまま
という、なんともちぐはぐな状態に陥ってしまいます。
そういうときは
ちぐはぐなままでいいと思います。
大切なのは
「これって偏見だったんだ」と知り、それを次世代に伝えること。
感覚的な受け容れが難しいものであっても
自分の心に照らして、本当のことを次世代へ伝えるのです。
そうすれば
ひとつの偏見が取り払われた文化が、継承されることになります。
そうして
「昔はそんな偏見があったの?びっくり!!」
というくらい、あたりまえのことになっていくのです。
「昔はそんな偏見があった」
と語り草になるまでは、何世代かかかります。
知って理解する → 感覚が一致する → あたりまえになる
これには、長い時間がかかるのです。
このことを実際に感じたのは、ある講演でした。
この講演については、長くなるのでまた明日。