小学生のとき、宿題を忘れて
「どうして忘れたのか説明しなさい」
と言われて、困り果てたことがあります。
忘れたという事実はあるのだけれど
そこに理由はなかったんです。
覚えていてやらなかったのなら、理由はあったかもしれませんが
忘れてしまっていたのだから
「どうして?」と聞かれても困るわけです。
同じことを聞かれたクラスメイトは
「遊んでいて忘れました」
と言っていました。
そうか、この子は「忘れた理由」があるんだ、いいなぁ。。
わたしはというと
「忘れていてずっと遊んでいた」というのが本当のところです。
「忘れた」のが先なんです。遊んでいたから忘れたのではないのです。
要するに
帰宅後、一度も思い出さなかったわけです。
そこで
「帰ってから今まで一度も思い出しませんでした」と言ってみたところ
えらく叱られて
遊んでいて忘れたと言ったクラスメイトと共に
宿題を忘れた子として学年中引き回しの刑になり
とても恥ずかしかったです。
思い出さなかったということと忘れたということは
「宿題をしていない」という意味で同罪なんですよね。
このときのことがどういうわけか、とても印象に残っていて
大人になってから振り返ってみると
やはり
「どうして忘れたのか」という質問はいかがなものか
と思うのです。
先生は
そんな質問なんかしなくていいから、叱ればよかったのではないか。
引き回しの刑になんてしないで、その場でさせればよかったのではないか。
そして、今後のために
「どうすれば覚えておけるか」とか「どうすれば思い出すか」とかを
考えてくれてもよかったのではないか。
人と関わって生きていく中で
「どうして忘れちゃうのよ?!」って思うことってありますよね。
同じ相手に何度も思うようならば
「どうすれば覚えておけるか」とか「どうすれば思い出すか」とかいうことを
一緒に考えてみてもいいのかもしれません。