事実はわかりやすい、けれど、事実だけの比較は危険 | 自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

今日は

性犯罪について直接的な表現もしますので

最近のニュースでしんどい思いをされている方は

読むのを控えてくださいね。

 

(自分の心を守ることが最優先ですから、苦しくなるニュースからは離れてください)

 

 

 

 

ドラマの名前が思い出せないのですが

海外ドラマの忘れられないやりとりがあります。

 

ある事件のことを

女性(刑事だったかな?」が同僚に報告します。

「レイプよ」

報告を受けた同僚男性が

「酷いのか?」と聞くと

彼女がピシャリと言うのです。

「酷くないレイプなんてある?」

 

これは性犯罪に限ったことではありません。

 

何か事件があり、被害者が存在する場合

事実確認は必要です。

いったいどういったことが実際に起こったのかという事実は

法的な対応のためには必要ですから。

 

けれど

そういった事実の詳細をメディアで報道するのはどうなんだろう?

必要なのだろうか?

 

事実から憶測することで

なんて酷いことだ!と理解することができるので

おそらく報道されるのでしょうけれど

ここには落とし穴があると、わたしは思っています。

 

事実だけを比べてみたときに

「自分の体験なんかたいしたことない」とか

「あの人の体験程度はたいしたことない」とか

と思ってしまう人が出てくるということです。

 

物凄く怖い思いをして

その後のその人の感覚や生活に

かなりの影響を与えているにも関わらず

事実だけを見て「たいしたことない」と判断すると

 

こんなたいしたことないことで苦しいなんて

それはおかしい、どうかしてるとか

悲劇の主人公ぶってる、とか

辛い人をさらに痛めつけてしまうことになる。

 

事実を知ることは

その人の心(恐怖や辛さなど)を想像することができる反面

事実だけを比べて

「自分の体験はたいしたことない」とか

「あなたの体験はたいしたことないよね」とか

そういう判断材料になる危険もあります。

 

 

事実はわかりやすいです。

そして

事実を知って、その人の辛さに思いを馳せることは大切です。

 

けれども

もし、その事実を知って

自分の体験をたいしたことないと思っているのであれば

それは違いますよ。

自分をケアしてあげてくださいね。

 

そんなことをお伝えしたくて、記事にしました。

 

 

 

[カウンセリングルーム風舎]のHPはこちら