転んでもタダでは起きない① 体験から気づき落とし込むこと | そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

イケメンたちが小学生のころ

ある先生が
CAP(子どもへの暴力防止プログラム)の活動に対して

「性被害の箇所は要らないのでは?

うちの学校には性被害に遭っている生徒はいないのだから」

と、言ったことがあります。

(わたしはその場にいなくて、後から聞きました。)

 

それはおかしいだろ!

と、多くの方が思うでしょう。

 

もちろん

このときも

「それはおかしいだろ!」

ということで

性被害の箇所が削除されることはなかったのですが

「たとえ、この学校にいなくても、大切なことだから」

という判断だったようです。

 

ちょっと待って!

なぜ「いない」と言い切れるの?

被害に遭った子が誰にも言わずにいるってことは考えないの?

言えずに苦しんでいる子がいるかもとか、思わないの?

 

知らない=ない

という図式なのでしょうか。

 

うーん

ちょっと違います。

 

知らないという認識がないのです。

 

人は

「知らない」という認識がないとき、物事を決めつけてしまいます。

認識していないので、決めつけていることにも気づいていません。

 

ですから

決めつけて物を言う人に対しては

「知らないということにすら、気づいてないんだ」

と捉えると

気持ちにゆとりができます。

 

この例のように

「知らない」と認識していただかないと困る場合は
伝えることが必要だったりもしますが

それも、やはり

自分にゆとりがなければできませんね。

 

ちなみに、当時のわたしは

「それは、あなた方が知らないだけかもしれませんよ。

被害に遭っても、誰にも言わずに抱えている子がいる可能性もあります。」

ということは言えませんでした。

フラッシュバックで過呼吸を起こしてしまって

それどころじゃなかったんですね。

 

今なら伝えるのになぁ。

 

まあ、仕方ないですね。

人は、そのときできることしかできませんから。

 

 

この例に限らず

「知らない」という認識は大切です。


この気づきから、わたしは何につけても

「なにか、見落としてはいないか?」

「他の視点があるはずだ、まだ知らないことがあるだろう?」

と、自分に問うてみるという習慣が身につきました。

 

自分が痛い思いをすると

そこからの気づきを肝に銘じるものです。

かなりのダメージを受けたおかげで

この認識の大切さを、自然に腑に落とすことができました。

 

 

しかし、気づきはここで終わりませんでした。

何年かたったあと、さらに腑に落ちたことがあったんです。

 

起こった事実は変わりません。

けれども、その事実が自分にとってどんな意味があるのかは

時間がたつと変わったりします。

 

さらに腑に落ちたことについては

長くなるので、また明日。

 

 

 

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