「生きてきた」「生き抜いてきた」ということ | そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

カウンセリングの際

クライエントさんに時折、質問されます。

 

「どうして生きなければならないんですか?」

 

「なんのために生きるのですか?」 

 

この問いに対する明確な答えというものを

わたしは持っていません。

 

それでも、この質問自体は真摯に受け止めます。

 

この質問の奥の切実な魂の叫びが

わたしの心に響いてくるからです。

 


自分の身に起こることは
自分が好むと好まざるとに関わらず

自分の歴史です。

楽しかったこと

嬉しかったこと
悲しかったこと

辛かったこと
そのひとつひとつが、大切な歴史になっていきます。

その中には
起こらなければよかったことや
激しい痛みを伴うことや
生きる勇気がくじけそうになるようなことや
後悔に苛まれるようなことなど

どうしようもないほどの体験もあるんですよね。

 

だから

「どうして生きなければならないのか」

「なんのために生きるのか」

という質問の奥に

わたしは切実な叫びを感じるのです。

 

そして、それでも

その質問の答えを、わたしは持っていない。

 

 

ただね

それでも
生きてきた。

とにかく

生きてきた。

そんな
それぞれの生きざまに、敬意を覚えるのです。

 

 

「生きる」というのは

何かの目的のためにすることではないし

意味のある行為というわけでもないと思います。

 

それでも「生きてきた」「生き抜いてきた」というのが事実

それは決して一筋縄ではいかない、物凄いこと。

 

「生きてきた」「生き抜いてきた」その人を前にすると

わたしは自然に、頭が下がります。

 

人が好きです。

 

 

 

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