愛はもらえ、教えは選べ | そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

「こうすべき」

「こうあるべき」

「これはだめ」

「これはおかしい」

 

たくさんの教えにさらされながら、人は成長します。

 

ほんの小さな子供のころは

素直に教えを吸収していきます。

 

生き抜くために必要だからです。

 

ある程度成長すると

「おや?それってほんとかな」

と疑問を持ったり

「それは違うよなぁ」

と否定したりするようになります。

 

自分で判断して、教えを選ぶことができるようになるんです。

 

ところが

 

教えと愛が絡まり合うと

ややこしいことになります。

 

愛してほしい相手からの教えだと

それに縛られてしまったりするのです。

 

愛してくれているはずだから

自分のためを思ってくれているのだから

その教えは正しい

という信念が、自分の奥底にできてしまいます。

 

 

本来

愛と教えは別物です。

 

愛は愛です。

存在そのものを大切に感じる気持ちとでもいうのでしょうか。

 

一方、教えには

独自の価値観が反映されます。

 

価値観は

人によって違ってあたりまえなので

愛する人といえども

「それは違うな」ということはあるんです。

 

 

教えは

自分で選んでいい。

そして

与えられた教えを選ばなくても

そこにある愛はもらえばいいんです。

 

 

たとえば

親の教えが自分を苦しめているとしたら

その教えは不採用にしていいし

その教えとは別に、親の愛を感じるならば

それはもらえばいい。

 

愛はもらって、教えは選ぶ。

それでいいんです。

 

 

教えに苦しみすぎて、愛なんて感じなければどうするの?

感じていないものはもらえませんね。

親の方は「愛よ!」って言っていたとしても

自分が愛と感じなければ、もちろん、もらわなくていいですよ。

 

 

 

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