自己肯定感は、能力の優劣に左右されないもの | そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

以前、新聞の投稿記事に
以下のような内容のものがありました。

***
元カレは自己肯定感が高くて、いつも自信満々で鼻についた。
海外からの仕事の電話なんかは
わざと音量をあげて聞こえるようにして、終わってから、どや顔。
***

「自己肯定感」が誤解されてるなぁ。。って思いました。


自己肯定感というのは、そのままの意味です。

自己を肯定する感覚

自己というのは
「今の」「ありのままの」自分
条件つきではない自分

何かに優れている自分ではなくて、ただの自分なんです。

 

 

能力への評価は
どんな物差しによる評価なのかで、簡単に変わってしまいます。

 

例えば、ハリー・ポッター。

ハリー・ポッターが
「僕は、ただのハリーだ」と言ったときに、ハグリットが言いました。
「じゃあ、ただのハリー・・」

魔法という力を持っているハリーが、「ただのハリー」なんですよね。

そのときのハリーにとっては
魔法は隠すべきものであり
「そんなものはない!」と否定しなければいられない能力だったんです。

ところが
ホグワーツ魔法学校に入学してから
ハリーの魔法能力への評価は一変します。

能力への評価は
どんな物差しによる評価なのかで、簡単に変わるものなんです。


自己肯定感というのは

どんな物差しによる評価でも変わらないもの。


そして、どんな物差しでも変わらないのは
その人そのものの生命は
誰も代わることのできない、かけがえのないものということ。


わたしの人生は、他の誰にも生きられない。
わたしの生命は、他の誰の生命でもない。
そんなわたしには
できることがあるし、できないことがある。
清も濁もある。
それで、生きている。

それは
どんな時代においても
どんな文化においても
どんな社会規範においても
変わらない事実ですから。


何かの能力に優れている自分を肯定している状態を自己肯定感が高い

というのは誤解なんです。

 

能力的に優れていることと、ありのままの自分を認めることとは

あまり関係がないんです。


じゃあ、なにかの能力をアップしようとするのは、間違いなの?

いえいえ、そんなわけありません。
その能力をアップする努力をしているのは
今を生きている、かけがえのないあなたなのですから。

 

 

 

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