TV番組のヒトコマです。
「子どもが引っ込み思案で
何を始めるにも、絶対嫌!って大騒ぎするんです。」
という、子育て相談に
回答者が答えました。
「子どもはみんな、はじめてのことは不安なものです。
お母さんがどんと構えていれば、安心しますよ。」
うーん。
どうなんでしょう。
相談者がものすごく困っているということは
相談者のお子さんは
回答者の想定する「みんな」には属していないんじゃないかなぁ
と、わたしは思ったのです。
もちろん、これは
わたしの個人的な意見に過ぎませんから
相談者は、この回答に救われたかもしれませんし
そうであれば、それにこしたことはありません。
実際にはどうだったかはさておき
わたしは
「みんな」という表現で、自分の考えや感覚を伝えることに
違和感を覚えるのです。
「みんな」というのは
これまでの自分の生きてきた中における「みんな」
に過ぎません。
幼いころは
体験が全世界と信じていますから
「みんな」を簡単に使います。
「みんな持ってんねん(持ってるよ)!」とか
「みんな言うてる(言ってる)!」とか
そんなとき
大人は
「あんた(あなた)のみんなは2.3人!」
と、たしなめるわけです。
それは
自分がどんなに生きても
世界にはわからないことだらけだと
知っているから。
自分がどんなにたくさんの人と関わっても
目の前の人は、他の誰でもない唯一の人だと
知っているから。
だから
大人になるにつれて
そういうことがわかるにつれて
「みんな」とは、安易に言えなくなる
と、わたしは思っているのです。
「わたしは」と表現すると、すっきりします。
「子どもははじめてのことは不安だと、わたしは思います。
お母さんがどんと構えていれば、お子さんは安心されるんじゃないでしょうか。」
ね?
すっきりするでしょう。
わたしには
「子どもはみんな・・」という「みんな」に
属することができなかった、幼児期や小学生時代がありました。
ですから、あのころは
「みんな」の外にいるしかありませんでした。
(そんなわたしは、当時「大人はみんな・・」って思っていました。反省。。)
「みんな」と表現すると
目の前の個人を見失う。
「わたしは」と表現すると
「あなたは」と相手を見ることができる。
「わたしは」そう、思うのです。