人と人は、同じ地面に立っている。
人に優劣はない。
ある能力において、優れているということはある。
そういった優劣を、人としての優劣としてみてしまうと
ややこしいことになる。
****そういうことは以前の記事にも書いたので、転載します****
 『人としての評価』 2013年1月6日
  人としての評価について考えてみた。
  「立派な人だ」と言う表現があるが
  さて、何を以ってして「立派」というのか。
  それは人の数ほどあると思う。
  思慮深いことをいう人もいれば
  広い視野をもつことをいう人もいれば
  思い遣り深いことをいう人もいれば
  冷静であることをいう人もいれば
  度量の大きいことをいう人もいれば・・・
  まだまだ、数え上げればきりがないが、これくらいにしておこう。
  「立派」というのは評価だが
  「立派な人」と表現する場合に、その価値基準とはならないものが
  足が速いとか
  歌がうまいとか
  野球が上手とか
  字が綺麗とか
  勉強ができるとか・・・
  こちらも数え上げればきりがないので、これくらいにしておく。
  では、なぜ
  前者は「立派な人」の評価基準に入り
  後者は入らないのか。
  前者はそもそも備わっているもので
  後者は環境で育っていったり努力で伸びていったりするもの
  というふうに認識されがちだからなのだと思う。
  実はそうではない。
  前者も後者も
  そもそも備わっている部分と、環境で育ったり努力で伸びる部分とがある。
  要するに
  「視野が広い」のも「足が速い」のも
  その人に、そもそも備わっている特性と
  その人が、歩んできた歴史との
  両方があってのこと。
  そこに「人としての」優劣は存在しない。
  じぶんが足が遅くても
  足の速い人と「人として」対等ではないとは
  誰も思うまい。
  結局
  人としての優劣はないのだと思う。
  みんな、対等な尊い存在なのだよね。
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「足元にも及ばない」
という表現があるけれど
それは
ある能力についての表現だと
知っておくことが大切だと思う。
人と人は
同じ地面に立っているのだから。