三連休のいちばんの目玉はなんといっても我がPC(家)の「B」を自力で直したことでしょう。
猫にさんざん弄ばれて打てなくなってしまったキーボードの「B」・・・・・・・・・。・゚・(ノ∀`)・゚・。
キーの部分はぼっこり外れてまして、最近では完全にお亡くなりに・・・(つめで押しても無反応)
「B」って意外と使うんだと、実感。

・・・

まー直したっても、フリーソフトダウンロードして他のキーを犠牲にし、「B」にすり替えただけなんですけどねー、オホホ。
世の中には対価を省みず奉仕してくれる優れた人たちがたくさんいることに感謝です。
ちなみにわたしはこのソフト を使わせていただきました。
ほんとうに簡単にできたので感激!でした!

Fri : 新横浜→自由が丘→渋谷
Sat : 曙橋→絵を見る
Sun : ピアノ→肉じゃが
Mon : ピクニック→海

簡素にまとめてみた。 

Pich upはやはりピクニックよね。
金色の光がキラキラしてまぶしかった。

うちから5分、でハイキングができます。

海も見渡せます。
趣のあるお寺も見れます。

うちから5分で。

しかも結構本格的な山道だったので、わくわく。
つまらないことにこだわらなければ、もっと楽しかったのに。

お弁当おいしかったなあ。
きっとさ、汗をかいて塩分が排出されるから山頂で食べるおむすびや卵焼きの塩っ気がおいしいのね。

あ!ヘビ見た!!!
ヘビだよ!生ヘビ!(←都会っ子)
隣でなんでもない顔してるの信じられなかったわ。

だってヘビだよ!(しつこい)


ao


そう!これ!アオダイショウらしい!
凶暴ではなかった。いや~感動でしたわんわん★

お金を一銭も使わなくてもピクニックしたり自然に触れたりきれいな景色を見ることができるなんて・・・なんか鎌倉に移住した素晴らしさをしみじみと感じた一日でした。
(500円でビール飲んだけどね)

夜、海を見上げる。
月明かり。
雲の切れ間から星が見える。

ああ、こんなにもこんなにも世界は綺麗で自分は許されてる、と思うのに。
悲しいことはとめどなく思い出され、不在を嘆く。

あなたの不在。
人はいなくなったらどこに行ったのだろう。

星になるなんて思えない。
星もまた死に行くものだから。

からだのまんなかでいきづくもの
隣から感じる鼓動と体温
あたたかな毛布のような温もりとけもののにおい。

すべて永遠ではないから。

それでも目の前で繰り返される満ちては引いていく波。
わたしが生まれる前から
わたしがいなくなってもきっと
ずっと
ずっと
満ちては引いていく。

それは永遠かと思うような連鎖。

一瞬と一瞬の連鎖は永遠。
では永遠は存在する。

『生まれたということは同時にゆるやかに死につつもあるということなんだよ。』

死ぬために生まれてくる魂。
明日にはいなくなってしまうかもしれない。
気持ちだって、おなじこと。

永遠なんて、ない。
永遠を渇望する。

自分自身が永遠ではないのに。

芸術こそ永遠?文学は永遠?

在り続けるということ
残り続けるもの

それは、意思?信念?

今日の一曲
遊佐未森/ベージュ


ゆさ


ほら 木漏れ日のパズルが
そっと 揺れてる
ふっと 風がほどくピース
手を かざした

こぼれ落ちる きらめきは 覚えている まなざし
あなたと見た 一瞬の 日差し

まだ 遠すぎた春の日
なぜ 出会った
ただ ふたりの陽だまりで 空 仰いだ

香りもなく 音もなく
途切れている 記憶は
無言のまま千切れてく いつか


fly high いまあなたに届けたい
fly high やさしくつつむひかり


もう 知らない人みたいに
そっと 静かに
きっと 微笑みも涙も
やっと ひとつに

立ち尽くして 日に焼けて
忘れていく 約束
眩しすぎる 太陽に かえる


fly high いまベージュの 飛行船
fly high まばたきのあと とけた
fly high いまあなたに 届けたい
fly high やさしくつつむ ひかり


お弁当見習い中(Lv.3:メラとニフラム覚えたて)なのです。

今日ランチ中(てきとうにつくったチャーハン)に図書館で借りた『暮らしの手帖 別冊 おべんとう』を読んでいました。

前述したようにわたしは栄養素の話が大好きデス。
最近はレシピというものの大切さも分かってきたので、レシピどおりにつくってみようと色んな調理法を見ています。
で、この本の最後のほうに、コラムのようなものが載っていました。

その中のひとつのお話に感動してしまったので、思わず写してしまいました。

*********

最後のお弁当  中田喜子(女優)

n


『舞台出演が二ヶ月間続く私の体を心配して、中央卸売市場中買人の母が、お弁当を持ってきてくれるようになった。

といっても朝三時に市場へ行くので、母の手作りではなく、市場内の母の行きつけのお店「かとう」からのものだった。
ドスのきいた声で、「いらっしゃ~い」と迎えてくれる名物おばさんのお店。

市場ならではの新鮮なきんき鯛の煮付や、大きな切り身のマナカツオの西京漬けが絶品の「かとう」から母は、お弁当箱持参で可愛い娘のために、テイクアウトをするようになった。

「喜子はあまり食べないから少なめにね」とお願いして詰めてもらってたそうだ。

市場が忙しい12月の10日頃だったか、私が出番を終えて楽屋へ戻ると、母がいつものようにお弁当を持って待っていた。
空腹の私は、早速魚の煮付を頬張りながら、
「油が乗っていてもう、最高。この時期のキンキハおいしいわね」と喜んだ。」

「喜子、これが最後よ。忙しいからもうお弁当を届けられないけれど、大丈夫?」と気遣ってくれる母。

食べ終えたわたしと一緒に、果物を食べながら母は、
「最近良く転ぶのよ。この間も階段から落ちてね。」
「やだ。お母さん気をつけなくちゃ、もう年なんだから、ちゃんと手すりにつかまって下りるのよ」
と、どちらが子どもかわからない会話を交わして母は帰っていった。

それから一週間後、母は亡くなった。

悲報に泣きながら舞台出演を続けたわたしだったが、母が持ってきてくれたお弁当箱を、今でも大切に使っている。

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・・・・・・・・・・・・・・・orz

何度読み返しても涙が出そうになります。

ごはんってごはんでしかないんです。
栄養を摂取するためのもの、生命を維持するためのもの。

しかし、そこに目に見えない何か愛情とか気持ちをこめると、それはまったくちがうものになります。

食べてくれる喜びがあるからつくるのだし
つくってもらうとあたたかくからだもこころも元気になる気がする。

そういうことを日々日々感じるからこそ、ああ、食べることって奥深いなあと思うのです。


今日の一曲
キテレツ大百科/お料理行進曲

き

いざ進めやキッチン めざすはジャガイモ
ゆでたら皮をむいて グニグニとつぶせ
さぁ勇気を出し みじん切りだ包丁
タマネギ目にしみても 涙こらえて炒めよう

ミンチ 塩・コショウで 混ぜたなら
ポテト 丸く握れ
小麦粉・卵に パン粉をまぶして
揚げればコロッケだよ

キャベツはどうした?まだまだあるメニュー

鍋の熱いプール スパゲッティ泳がせたら
ザルにあげてOK手にかざせ包丁 
タマネギ・ピーマン・ハム 輝くフライパンで
ダンス踊るよ炒めよう かるく 塩・コショウで
忘れるな スパゲッティ ケチャップ混ぜて

ウットリするママ もう我が家のシェフ
食べればペロリヤーナ 赤いナポリタン
最近ブログもリアル日記もすっかり停滞・・・時間がないわけじゃないのに一日があっちゅう間に終わって、猛スピードで秋から冬へ加速している気がする。

ぜんぜん忙しくしているつもりはないのに、すぐ産毛も爪も伸びるし、なんだかやらなければいけないこまごましたことが山ほどある気がして、目に見えないなにかにいつも追いかけられているような気がしているこの頃です。

これはどういう状況なのだろう?

もっとミニマリズムになりたいのだが・・・詰め込みすぎなのだろうか、なんでも。

まとめてみよ。


sat. 近所の中華屋さんへ。図書館に行く。本を読む。焼鳥食べに行く。

sun. お昼はしらす丼をつくる。ウマー。夜はワインとしらすパスタ。ゲームする。

mon. ちょっと風邪っぽいので早く寝る。

tue. かえってからカレイの煮付・南瓜・おひたし・あさり味噌汁つくる。


20081007



・・・・・・・・・・・・・・・・

なにもしてなくね?


なにひとつしていないではないか!
それなのに一日が早く過ぎるってぇのはどういうことなんだぃっ!?えぇ?(江戸っ子調)


・・・・・・・・・・・

では何をしなければいけないのか、まとめてみた。


M U S T

●毛処理(あまりに赤裸々だが女子にはこれが欠かせない
●腹筋やジョギングなどの運動(ちょっと寒くなるともうさぼりがち)
●洗濯掃除(まあ、家事だすな)
●ブーツはじめ靴のかかとの修理(毎日修理屋さんを通るたびに思ってる)
●トレンチとかクリーニング出す
●角質落としたり、パックしたりマッサージしたり。
●ピアノの練習、毎日30分でもいいからやる
●ブログと手帳の日記(タイミングを外すとずっと書けない)
●お弁当のおかずのつくりだめ(毎日ちゃんとキッチンに立ちたい)
●履歴書書く(即近でやばめなことです)
●ハナとビビを獣医さんに連れて行く
●髪の毛どうにかしたい
●携帯取りに行く
●TRITON修理に出す
●ユミのワンピのしみ落とす
●いらないゲームとマンガ売る
●衣替え
●歯医者と婦人科に行きたい

W A N T

●遠くにも近くにも出かけたい(温泉・食べ歩き・ピクニック・代官山ママタルト・渋谷)・H&M
●ものをつくりたい(編み物・刺繍・マトリョーシカ・コラージュ・ぬいぐるみ)
●きょくづくり
●ひきがたりの練習
●梅酒とかサングリアつくりたい。果実酒。あと常備食とかもっとつくりたい
●読んでない本読む、天然生活とクウネルとcoyoteじっくり読みたい
●引っ越すなら引っ越す。
●今までの写真の整理、レシピまとめやら
●お菓子つくりたい!!
●クリアしてないゲーム(ドラクエ6、ペルソナ4)
●服!欲しい!服~~~服~~~!!
●マッサージ行きたい~岩盤浴も行きたい~~
●はなしづくり
●もっとお弁当上手になる


人はこどもからおとなになるとき、愚直で貪欲で、あれもこれもとエネルギッシュにどんどん色んなことを吸収してどんどん放出していきます。
『じぶんはここにいる』というものを体全体で叫んでいるみたいに。

そうして叫んで泣いて笑って、疲れたときに、体中に貯めこんだたくさんのものから、自分にとってほんとうに必要なものとそうでないものに分け、いらないものはどんどん捨てていきます。

無限大だと思っていた可能性、退屈に感じるくらい永遠にあるように思われた時間、世界にひとつだけと信じることができたかのような自分の能力値。

そんなものはそこになかったと、多くの人は気づきます。
それでも生きている。
そして、気づく。そんなことだけが生きるということではないということ。

折り合いをつけたのか、あきらめなのか、それともただそんなものは必要だと思わなくなったのか。
月並みだけど角ばったものも丸くなって、少しづつ色んなことにゆったりと構え、享受し、鈍感になっていく。
愛というものに興味深く献身的になり、たくわえた有形無形のものを大切な何かに注いでいく。

これがいきものがいきる、ということなのでしょうか。

それを「老い」や「衰え」と呼んでしまうにはあまりにもナンセンスです。

抵抗がないといえば嘘になります。
魚群の中で流れに逆らう反乱分子のようにいつまでも戦っていたい。
自分は特別で、人とは違うんだと思っていたい。
誰もがどこかでほんとうはそう思っている。
しかし、もうそうは生きられない、生きてはいけないような気がする、とどこかで思う。

わたしはちょうどそこにさしかかる過渡期の年齢のような気がします。

制限がたくさんあって、小さな胸が爆発しそうなくらいやりたいことがあったのに、何もできないと不自由さに泣きたくなっていた十代。

二十代は、わたしが想像した以上に自由で素晴らしく刺激的でカラフルでキラキラしていました。
クレモンティーヌが『二十代なんて砂が指の間から零れ落ちるようにさらさらと流れていってしまった』と書いていましたが、わたしはまったくそうは思いません。

半ばから後半はともかく、20~28くらいまではほんとうにわたしはのびのびとやりたいことをさんざんやったように思います。

たくさん恋をしました。

ひとりの人をじっくり愛するということも知りました。

別れを知りました。

たくさんの男の人と知り合いました。

たくさんの国に行きました。

2回も一人旅をしました。

たくさんの仕事もしました(笑)

いっぱいお金を使いました。

色んな家に住みました。

色んなひとたちに会いました。

素敵なカフェでライブも何度かできました。

たくさん歌ってたくさん曲をつくりました。

たくさんの楽しいお酒とおしゃべりの夜を過ごしました。

いっぱい泣いていっぱい悩んでいっぱい笑っていました。

たくさんご飯をつくりました。

いっぱい絵を描いたりものをつくったりしました。

たくさん買い物もしました。もうそりゃあ、たくさん!

いっぱい悪いことをしました。

毎日たくさんのことがあって、たくさんの人に甘やかされて支えられて、あたしはあたしのままこんなに大きくなりました。


そうして、去年30になって、ふと顔を上げると、
元来た場所に戻っている気がしました。

再びゼロ地点。でも前とは違う。
とりあえず、いらないものはなんだか重いから置いていこうと思う気持ちがとっても強くなった。

新しいものはきらびやかできれいだけど、前からあるものをずっと長く手入れして使いたいと思うようになりました。
やみくもに自分はこうなるべきだ、こうならないとかっこ悪い、ということよりも、自分が気持ちいい場所、居心地の良さ、自分らしくいられる居場所にずっといたいと思うようになりました。

じゃらじゃらつけていた色とりどりのアクセサリーよりも、シンプルなひんやりとした銀の細いネックレスひとつだけあればいいと思うようになりました。


もちろんすべてが一度に変わるわけではないけど、だんだんわたしは自分がだんだんそうなっているように思います。
もともと生き方も下手だし不器用なので、しわ寄せはくっきり来ているのですが、

40歳まで10年。

わたしはこの10年をどう生かすのか。

それは20歳のときにも思ったこと。

20歳から何かをずっと続けたら30歳には10年やっていることになる、と。

結局いくつかには分散されましたが、確かに細々と続けたこともあります。

そうして核の部分はひとつも変わっていません。

30歳になってもわたしが『こうなりたい』『これをやりたい』を思うことは少しも変わっていないのです。
変わることは楽しいです。
でも変わらないことは尊いです。

これからの10年間、(9年?)わたしは今度はスープをじっくりことこと煮込むように、自分の人生というものを煮込んで煮詰めていきたいなあと思うのです。

新しくわたしが30代を過ごすであろう、ずっと憧れていた鎌倉という土地で。


今日の一曲

1007

mimori yusa/sweet petite

消えない 花火みたい 水面がまぶしくて
潮騒 麻のシャツと 真昼のきらめき ああ

水の上に 散らばる ゆれる まるい 光の粒は
時を 泳ぐ きらきら 舞い上がる

風の行く街で 夢を見ようよ
こころまでそめる 青い空

自転車漕いで行けば 誰かに会えそうで
潮風 砂交じりの 背中を押されて ああ

胸の奥の日向で みんなきっとつながってるの
当たり前に 思えた 交差点

風の行く街で 夢を見ようよ
こころまでそめる 青い海

ああ いい波を 待っている
いつか きっと 乗りたいな

風の行く街で 夢を見ようよ
こころまでそめる 青い空

夢を見ようよ

こころまでそめる 青い海


That's KAMAKULIFE.