最近ブログもリアル日記もすっかり停滞・・・時間がないわけじゃないのに一日があっちゅう間に終わって、猛スピードで秋から冬へ加速している気がする。

ぜんぜん忙しくしているつもりはないのに、すぐ産毛も爪も伸びるし、なんだかやらなければいけないこまごましたことが山ほどある気がして、目に見えないなにかにいつも追いかけられているような気がしているこの頃です。

これはどういう状況なのだろう?

もっとミニマリズムになりたいのだが・・・詰め込みすぎなのだろうか、なんでも。

まとめてみよ。


sat. 近所の中華屋さんへ。図書館に行く。本を読む。焼鳥食べに行く。

sun. お昼はしらす丼をつくる。ウマー。夜はワインとしらすパスタ。ゲームする。

mon. ちょっと風邪っぽいので早く寝る。

tue. かえってからカレイの煮付・南瓜・おひたし・あさり味噌汁つくる。


20081007



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なにもしてなくね?


なにひとつしていないではないか!
それなのに一日が早く過ぎるってぇのはどういうことなんだぃっ!?えぇ?(江戸っ子調)


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では何をしなければいけないのか、まとめてみた。


M U S T

●毛処理(あまりに赤裸々だが女子にはこれが欠かせない
●腹筋やジョギングなどの運動(ちょっと寒くなるともうさぼりがち)
●洗濯掃除(まあ、家事だすな)
●ブーツはじめ靴のかかとの修理(毎日修理屋さんを通るたびに思ってる)
●トレンチとかクリーニング出す
●角質落としたり、パックしたりマッサージしたり。
●ピアノの練習、毎日30分でもいいからやる
●ブログと手帳の日記(タイミングを外すとずっと書けない)
●お弁当のおかずのつくりだめ(毎日ちゃんとキッチンに立ちたい)
●履歴書書く(即近でやばめなことです)
●ハナとビビを獣医さんに連れて行く
●髪の毛どうにかしたい
●携帯取りに行く
●TRITON修理に出す
●ユミのワンピのしみ落とす
●いらないゲームとマンガ売る
●衣替え
●歯医者と婦人科に行きたい

W A N T

●遠くにも近くにも出かけたい(温泉・食べ歩き・ピクニック・代官山ママタルト・渋谷)・H&M
●ものをつくりたい(編み物・刺繍・マトリョーシカ・コラージュ・ぬいぐるみ)
●きょくづくり
●ひきがたりの練習
●梅酒とかサングリアつくりたい。果実酒。あと常備食とかもっとつくりたい
●読んでない本読む、天然生活とクウネルとcoyoteじっくり読みたい
●引っ越すなら引っ越す。
●今までの写真の整理、レシピまとめやら
●お菓子つくりたい!!
●クリアしてないゲーム(ドラクエ6、ペルソナ4)
●服!欲しい!服~~~服~~~!!
●マッサージ行きたい~岩盤浴も行きたい~~
●はなしづくり
●もっとお弁当上手になる


人はこどもからおとなになるとき、愚直で貪欲で、あれもこれもとエネルギッシュにどんどん色んなことを吸収してどんどん放出していきます。
『じぶんはここにいる』というものを体全体で叫んでいるみたいに。

そうして叫んで泣いて笑って、疲れたときに、体中に貯めこんだたくさんのものから、自分にとってほんとうに必要なものとそうでないものに分け、いらないものはどんどん捨てていきます。

無限大だと思っていた可能性、退屈に感じるくらい永遠にあるように思われた時間、世界にひとつだけと信じることができたかのような自分の能力値。

そんなものはそこになかったと、多くの人は気づきます。
それでも生きている。
そして、気づく。そんなことだけが生きるということではないということ。

折り合いをつけたのか、あきらめなのか、それともただそんなものは必要だと思わなくなったのか。
月並みだけど角ばったものも丸くなって、少しづつ色んなことにゆったりと構え、享受し、鈍感になっていく。
愛というものに興味深く献身的になり、たくわえた有形無形のものを大切な何かに注いでいく。

これがいきものがいきる、ということなのでしょうか。

それを「老い」や「衰え」と呼んでしまうにはあまりにもナンセンスです。

抵抗がないといえば嘘になります。
魚群の中で流れに逆らう反乱分子のようにいつまでも戦っていたい。
自分は特別で、人とは違うんだと思っていたい。
誰もがどこかでほんとうはそう思っている。
しかし、もうそうは生きられない、生きてはいけないような気がする、とどこかで思う。

わたしはちょうどそこにさしかかる過渡期の年齢のような気がします。

制限がたくさんあって、小さな胸が爆発しそうなくらいやりたいことがあったのに、何もできないと不自由さに泣きたくなっていた十代。

二十代は、わたしが想像した以上に自由で素晴らしく刺激的でカラフルでキラキラしていました。
クレモンティーヌが『二十代なんて砂が指の間から零れ落ちるようにさらさらと流れていってしまった』と書いていましたが、わたしはまったくそうは思いません。

半ばから後半はともかく、20~28くらいまではほんとうにわたしはのびのびとやりたいことをさんざんやったように思います。

たくさん恋をしました。

ひとりの人をじっくり愛するということも知りました。

別れを知りました。

たくさんの男の人と知り合いました。

たくさんの国に行きました。

2回も一人旅をしました。

たくさんの仕事もしました(笑)

いっぱいお金を使いました。

色んな家に住みました。

色んなひとたちに会いました。

素敵なカフェでライブも何度かできました。

たくさん歌ってたくさん曲をつくりました。

たくさんの楽しいお酒とおしゃべりの夜を過ごしました。

いっぱい泣いていっぱい悩んでいっぱい笑っていました。

たくさんご飯をつくりました。

いっぱい絵を描いたりものをつくったりしました。

たくさん買い物もしました。もうそりゃあ、たくさん!

いっぱい悪いことをしました。

毎日たくさんのことがあって、たくさんの人に甘やかされて支えられて、あたしはあたしのままこんなに大きくなりました。


そうして、去年30になって、ふと顔を上げると、
元来た場所に戻っている気がしました。

再びゼロ地点。でも前とは違う。
とりあえず、いらないものはなんだか重いから置いていこうと思う気持ちがとっても強くなった。

新しいものはきらびやかできれいだけど、前からあるものをずっと長く手入れして使いたいと思うようになりました。
やみくもに自分はこうなるべきだ、こうならないとかっこ悪い、ということよりも、自分が気持ちいい場所、居心地の良さ、自分らしくいられる居場所にずっといたいと思うようになりました。

じゃらじゃらつけていた色とりどりのアクセサリーよりも、シンプルなひんやりとした銀の細いネックレスひとつだけあればいいと思うようになりました。


もちろんすべてが一度に変わるわけではないけど、だんだんわたしは自分がだんだんそうなっているように思います。
もともと生き方も下手だし不器用なので、しわ寄せはくっきり来ているのですが、

40歳まで10年。

わたしはこの10年をどう生かすのか。

それは20歳のときにも思ったこと。

20歳から何かをずっと続けたら30歳には10年やっていることになる、と。

結局いくつかには分散されましたが、確かに細々と続けたこともあります。

そうして核の部分はひとつも変わっていません。

30歳になってもわたしが『こうなりたい』『これをやりたい』を思うことは少しも変わっていないのです。
変わることは楽しいです。
でも変わらないことは尊いです。

これからの10年間、(9年?)わたしは今度はスープをじっくりことこと煮込むように、自分の人生というものを煮込んで煮詰めていきたいなあと思うのです。

新しくわたしが30代を過ごすであろう、ずっと憧れていた鎌倉という土地で。


今日の一曲

1007

mimori yusa/sweet petite

消えない 花火みたい 水面がまぶしくて
潮騒 麻のシャツと 真昼のきらめき ああ

水の上に 散らばる ゆれる まるい 光の粒は
時を 泳ぐ きらきら 舞い上がる

風の行く街で 夢を見ようよ
こころまでそめる 青い空

自転車漕いで行けば 誰かに会えそうで
潮風 砂交じりの 背中を押されて ああ

胸の奥の日向で みんなきっとつながってるの
当たり前に 思えた 交差点

風の行く街で 夢を見ようよ
こころまでそめる 青い海

ああ いい波を 待っている
いつか きっと 乗りたいな

風の行く街で 夢を見ようよ
こころまでそめる 青い空

夢を見ようよ

こころまでそめる 青い海


That's KAMAKULIFE.