箱根板橋 まち歩き その3 旧道の裏道 | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

小田原散歩、国道から箱根板橋の旧道方面に向かいます。

 

旧道入り口の光円寺の大イチョウ。

秋になったらきれいでしょうね。

 

 

 

このお寺も彫刻や屋根瓦が立派でした。

 

 

 

 

 

民家の庭先にあった 小さなお社には 《下町》《子供中》の文字

どなたさんが祀られているのかしら・・・?

 

 

 

 

 

持っていた板橋まち歩きの地図に 詳細な説明が記載されてなかったので 寄らずに帰宅してしまったのですが この奥にある伝肇寺には かつて本堂横に 北原白秋が《木菟(みみづく)の家》と名付けた茅葺屋根の家を建て住んでいたそうです。

(画像はネットからお借りしました)

 

 

白秋は 翌年には レンガ造りの洋館も建て ここに住んでいた8年間に 1200編の作品の内 《この道》《あかいことり》《ゆりかごのうた》《あわて床屋》等の約半数を作ったと伝えられています。

大正10年に 妻菊子が初めての子供を身ごもった時に作られたのが《ゆりかごのうた》で 歌詞の中に出てくるビワの木が当時の庭にあったそうです。


現在も境内に残る大きなかやの木も 童謡《かやの木山の》に登場し 木の下の小さな祠には、白秋が名付けた《かやの木地蔵》がおさめられているとのこと。
   

国道の海側には 大正13年に元宮内大臣 田中光顕の別邸として建設された和風建築の建物は 現在白秋記念館になっており 以前 外観だけみてきましたが 次回は伝肇寺と合わせ ゆっくり行ってみようと思います

 

 

 

 

旧道に入ると傍らに きれいな水が流れる小田原用水が続きます。

小田原用水は 早川から市街地へ水を引くためのもので 日本最古の水路と言われ 小田原合戦の後 豊臣秀吉が小田原用水の整備された様子を見て 江戸の上水道整備の参考にしたとも伝えられています。

 

 

 

今回は 旧道の奥の裏道も歩きました。

のどかな畑が残るこの道沿いには 小さなお寺が点在し 面白いものがいっぱい。

 

年季が入ったこのアパート 今も現役でした。

 

 

 

民家の庭先の井戸

 

 

 

立派な構えのお宅には 小さな煙突が見えます。

 

 

 

これ 薪で焚くお風呂の煙突ですよね。

懐かしい~~~!!

 

 

 

昔 実家も薪で焚く風呂釜を使っていたので これと同じ煙突があり 年に一度は 父が屋根に上り 長いワイヤーの先にたわしの様なものがついたブラシで 煙突掃除をしていたのを覚えています。

まだまだ可愛げがあったその当時の私は 父が煙突掃除をする姿を見ながら こんなに細い煙突から どうやってサンタクロースは家に入れるんだろうと真剣に考えたり 覚えたてのチムチムチェリーの歌を歌ったり・・・・

 

   

 

 

燃料の薪は 近所で解体する家や 伐採する木があるといただいてきて 庭でのこぎりや鉈(なた)を使って薪を作る手伝いも良くしたものです。

薪が手に入りにくくなると オガライト(おがくずや木材チップを固めて作った人工燃料)を購入しました。

(画像はネットからお借りしました)

何だか懐かしいものを見ると 次々古い記憶が蘇りますね。

 

裏道から細い路地を入ると 華道教室をされているお宅の門飾りには 立派な生け花。

 

 

 

坂道を登ると 左側にに見えてきたのは 国登録有形文化財 大倉財閥創始者 大倉喜八郎男爵が大正9年(1920年)に建てた別邸 共寿亭 旧割烹旅館 山月の入り口

 

 

 

現在ここは非公開。

門の前から覗いても アプローチが続き 奥は全く見えませんが 京都御所を模した3500坪もの広さの庭園に 伊藤博文が命名した《志ら雲の瀧》と 関東大震災でもほとんど被害がなかった堅固な別荘建築の建物 (御殿風の外観 内部は瀟洒な造り)があるそうです。

 

 

 

 

山月の向かい側には 山縣有朋(第3代 9代 総理大臣)が明治40年(1907年) 70才の時に構え 晩年を過ごした古稀庵(こきあん)

残念ながら入園できるのは日曜日だけなので この日は 中には入れず・・・・

 

 

 

 

 

 

 

古稀庵隣にあるのは 第23代内閣総理大臣 清浦奎吾(きようらけいご)が別邸として建築 その後大正3年(1914年)に 山縣有朋により 隣の古稀庵の別庵として取り入れられた皆春荘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは 月曜日以外 午前10時~午後4時までの間 入園できますが 今年4月8日~来年2月まで庭園整備のため 日曜のみ 建物だけの見学になるようです。

 

 

 

玄関の天井。

 

 

 

この日は建物内で 現代アートの作家さんの三人展が開催されていました。

 

 

 

庭園

 

 

 

 

こちらは 邸園から見た建物。

 

 

 

山縣有朋は 現在 大磯中学校になっている敷地にも かつて別宅 小淘庵(おゆるぎあん)を所持していたそうで 明治期の政治家の経済力は 驚くべきものがありますね。

下世話な話ですが 現在の政治家と比べてどうなのよ・・・?と思ってしまうわが身のみっみっちさに呆れながら 豪邸訪問をしてきました。