箱根板橋 まち歩き その1 山角天神社 | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

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~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

箱根板橋に向かう途中 国道1号線から 路地奥に見えた赤い鳥居は 北条氏康公が小田原の文運隆盛を願って勧請した 山角天神社でした。

天満宮と言えば ご神体は菅原道真公 

山角天神社は 地元の方たちから《天神さん》と親しまれているそうです。

 

 

 

 

 

階段横にある石柵に彫られている名前は 金造 善左ヱ門 平太郎 荒吉 興作 荘之助 幸助  房次郎に房五郎・・・

明治時代の方たちの名前でしょうかね。

 

 

 

 

 

石柵の横に 石を積んだ人一人がやっと通れる階段があり その中腹の斜面に建つ胸像は 昭和14年に建立された 瓜生外吉海軍大将の像。

山角神社から200mほどの高台に別荘を設け 住んでいたそうです。

 

 

 

 

 

 

この胸像 帰りがけにこの石積みの階段を下りて写真を撮ったのですが 幅が狭くて足場も悪い・・・

手すりも無いので ちょっと足を踏み違えたら 下まで真っ逆さまに落ちそうで とても怖い階段でした。

胸像を間近に見たい方は 下から登って見に行くことをお勧めします。

 

 

 

鳥居の所にある階段も 踊り場もなく 急なので 降りる時には 手すりを頼りに空いた方が安全ですよ。

 

 

階段を上がると 右側にあるのは 文政3年(1820年)に建てられた芭蕉の句碑。

 

 

 

 

その奥には 筋違橋(南町)にあった呉服商の主人であり 狂歌師でもあった紀軽人(きのかるんど)の歌碑。

狂歌と言うのは 知らないジャンルのものでしたが 社会風刺や皮肉 滑稽を盛り込んで 五・七・五・七・七の音で構成したパロディ形式の短歌。

明治時代後半には 流行語なども取り入れて 人気があったジャンルだそうですが 近代以降はすたれ 川柳が主流になって行ったそうです。

 

 

 

 

芭蕉や狂歌の歌碑の向かい側には 通りゃんせの歌碑。

天神様の歌と言えば 通りゃんせですものね。

 

 

 

社殿手前の右側には 夜叉神社

 

 

 

夜叉神社と言うのは 初めて聞く神社だったので調べてみましたが 情報が無く 岐阜県と福井県境の夜叉ヶ池のほとりに 夜叉ヶ池伝説の龍神を祀り 雨乞いにご利益が有るという 夜叉龍神社というが1つあっただけでした。

 

 

 

お堂の中の御神体は 扉が閉じられていたので 見ることができませんでしたが 龍神様が祀られているんでしょうかね。

 

 

 

そういえば 夜叉神社のすぐ横に 水神と書かれた土管を2つ積み上げたようなものがあったので やはり夜叉神社も水にまつわる神様なのでしょうか?

 

 

 

天神様が祀られた小さな社殿の前の左右にには 梅の木が植えられ 小さな実がいっぱい実り始めていました。

 

 

 

 

 

 

社殿奥の扉の中に祀られている御神体は 《永禄4年(1561年)極月(12月)吉日》と書かれた台座6㎝ 高さ32㎝の木像だそうです。

 

 

 

社殿内にはもう1つ 北条氏康公が奉納したという別当院三光寺の什宝(宝ととして秘蔵する器物) 菅原道真画像の掛け軸が納められていて 小田原市指定文化財に指定されています。

 

 

 

この姿は 《いかり天神》と呼ばれ 道真の憤怒相を描いたものだそうですが 何だかとても優しい顔に見えるのは 私だけ・・・?

 

 

 

この掛け軸は ガラスケースの中に収蔵されているのが 社殿扉のガラス越しに見ることができるので 参拝しながら覗いて見てくださいな。

 

 

 

社殿前の絵馬掛けには 学業成就の3種類の絵馬。

天神社らしく 梅の絵馬と 道真公の絵馬が2種類。

 

 

 

 

幼いころから神童と呼ばれた道真は 空海 小野道風と共に《書の三聖》と呼ばれるほど達筆だったので こちらの絵馬には 道真や梅と一緒に 筆も描かれています。

 

 

 

絵馬には 目標高く 合格祈願の願いなどが書かれている物が多かったけれど 思わず微笑ましくて 和ませていただいた絵馬は ルンルン友だち百人つくるルンルンの絵馬でした。

 

 

   

 

 

我が家にも 小さな天神様の土人形が3体ありますが 最近記憶力の低下を感じてきているので  天神様の参拝をきっかけに 脳みその復活をお願いしましょうかね・・・・えー