郷土資料館へ | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

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~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

昨日は 県立城山公園内にある 大磯町郷土資料館へ 企画展《学び舎の歴史》を見に行ってきました。

 

 

駐車場から 資料館へ向かう道は 緑に包まれた森の中

 

坂の途中にある海會門(かいえもん)は 一見簡素に見えますが

 

 

 

 

元々 城山公園の敷地が三井財閥の別邸時代だった頃からあったもので 門に使われている木材は 奈良 当麻寺の講堂扉 東京 浅草寺の肘木 奈良 菅原寺の金堂瓦などの古材を再利用しています。

 

 

 

 

門をくぐり 小高い丘を越えると 目の前に広がる青紅葉と竹林。

 

 

 

 

資料館裏の庭では 苔のお手入れ中でした。

 

 

 

資料館のシンボルの郵便ポストは かつて町内で使われていたもの

 

 

 

 

資料館内の写真撮影はOKだと許可をいただきました。

 

ホールから奥へ続く廊下には 現在整備中の明治記念公園内にお住まいだった明治時代の政治家たちの資料が並びます。

 

 

 

ホール右側の常設展示室には 町内の行事やお祭り 庶民信仰などが展示中。

 

 

 

 

 

 

こちらは 西小磯地区の七夕祭りで使うお面。

 

 

          

 

 

仇討ちで知られる曽我兄弟の兄 十郎さんの愛人 虎さんを描いた浮世絵《曽我十郎大磯通之図》(明治23年(1890年))

 

 

 

 

特別展示室で開催中の企画展 《学び舎の歴史》

 

 

入り口正面に かつての教室が再現されています。

 

 

 

黒板ある特大算盤の下にあるのは 2年生用の《ヱノホン掛図》

 

 

中身は こんな絵が描かれているそうです

 

 

 

懐かしい机の上には 算盤とノート代わりの石板

私が小学生の頃は 当たり前のように 算数で算盤の授業はあったし そろばん塾へ通っている子もたくさんいましたが 今ではそろばん塾って 見なくなりましたね~~~。

 

 

 

 

 

関東大震災後 昭和の初めまで チャイム代わりに使われていた鐘

 

 

 

 

大磯に小学校の前身ができたのは 明治6年(1873年)ですが 

 

 

 

それ以前の寺子屋で使われていた教科書の《往来物》

 

 

 

 

昭和35年~38年に使われていた1年生の教科書。

驚いたことに かきかたの教科書の表紙絵は 大磯在住の日本画家 堀文子さんの絵でした。

私の小学校入学は 昭和41年だったので この教科書ではなく 残念ショボーン!!

 

 

 

 

明治45年の卒業写真

 

 

 

昭和10年(1935年)頃の集団登校の様子。

子供の背景に移っているのは 大磯中学校前の松並木のようですね。

 

 

 

 

90年が経ち 今ではすっかり松の木も大きくなりました。

 

 

 

こちらの写真は 昭和29年に園舎が新設された時の町立大磯幼稚園。

私が入園したのは この写真が撮られた10年後。

写真の後列の一番右に移っている方は お名前は思い出せないのですが 私が入園した時に 中堅の先生として 隣のゆり組担任だった先生の若かりし日の姿。

面影がそのまんまです。

60年前の記憶とつながって ビックリでした。

 

 

 

 

大磯中学校の正門にある門標の文字は 晩年大磯にお住まいだった 吉田茂元総理が書かれた文字だと知っていましたが 小学校の門標の文字も 吉田さんだったんですね~~。

今まで全く知りませんでした。

 

 

 

 

 

地元大磯の学校を卒業した人でなければ 興味がわかない企画展かもしれませんが 懐かしい先生の姿にお会いできたり 楽しい企画展でした。

 

 

帰りには 田植えが終わった里山を一回りして帰宅。

 

 

 

 

 

 

マコモダケ 今年も栽培するようですね。

 

 

 

さ~~て 今日はこれから通院です。

雨も上がったようなので 帰りにまたどこかで道くさしようかな~~