大磯 邸園巡り その3 明治記念大磯邸園 | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

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大磯 邸園巡りの午後の部は 明治記念大磯邸園です。

 

明治記念大磯邸園は 伊藤博文 大隈重信 陸奥宗光という 歴史の教科書に名を連ねる 明治時代の大物政治家 お三方の別邸がある所です。

大磯中学校前にある旧東海道の松並木沿いにお三方のお屋敷が 並んでいます。

 

 

 

塀に囲まれた邸園内には 大隈重信 陸奥宗光のお屋敷。

ここは 古河電工 大磯荘の表札がかかっています。

 

 

 

隣にあるのが 伊藤博文の邸宅 数年前まで 西武が所有し 大磯プリンスホテルの中華レストランとして 活用されていました。

 

 

 

去年の秋に行った邸園公開の時と同様 今回も邸宅内には入れず お庭からのお宅拝見でしたが ガイドさん付きで案内していただきました。

使用している画像は 今回撮影したものと ツアーでいただいたパンフレットから掲載します。

 

 

まず 最初に行ったのは 第8代と17代総理大臣 旧大隈重信邸

 

 

 

木造平屋建 寄棟 アルミ板棒葺 延べ面積 110坪

 

 

 

宴会好きの重信が 大勢のお客さんを招くため 車寄せも作った玄関

 

 

 

 

この玄関 家相上悪いとされる西向きに作られているのですが 現在マンションが建っている西側には 当時 佐賀藩主 貴族院議員だった 鍋島直大の邸宅があり かつてお殿様だった方に お尻を向けてはいけないと 忠義を示し 西向きに玄関を作ったのだそうです。

 

 

 

夜な夜な大宴会が繰り広げられた 10畳と16畳続きの大広間 富士の間

 

 

 

 

書斎として使用していた 神代の間は 神代杉がふんだんに使われています。

この部屋には 爆弾を受け 片足を切断した重信が 冬を暖かく過ごせるようにと 暖炉も設けられています。

 

 

 

廊下の窓は 大正時代のゆらゆら硝子が当時のまま残されています

 

 

 

伊豆石で作られた浴槽には お湯を張ると 富士山富士山が浮き出して見えるという贅沢な物。

 

 

 

風呂好きな重信は 庭の離れにも 五右衛門風呂を作りました。

 

 

 

贅をこらして 明治30年(1897年)に建てられた重信の別邸ですが わずか4年住んだだけで 古河財閥に譲渡しています。

 

 

こちらは 重信と綾子夫人。

重信は 夫人に頭が上がらず 「うちの番頭」と呼んでいたそうです。

確かに綾子夫人 総理大臣もお尻に敷いた明治女の強さがにじみ出たお顔ですね~~にひひビックリマーク

 

 

 

敷地内の東側にあるのが 陸奥宗光邸

陸奥宗光は 慶應3年(1867年) 坂本龍馬の海援隊に参加 明治時代には兵庫・神奈川県知事 大蔵省租税頭 元老院議官 外務大臣などを歴任。

 

 

 

宗光邸は 木造平屋建て 寄棟 桟瓦葺 延べ 110坪

 

 

 

数寄屋風建築 母屋の応接室兼主人室

 

 

 

 

重信邸には 神大杉が使われた部屋がありましたが 宗光は 中廊下に屋久杉を使った棚を作っています。

 

 

 

宗光は 海が好きで 母屋の前の日本庭園を抜け 度々海水浴に行きました。

現在は 西湘バイパスで分断されていますが 当時は 庭園を抜けると プライベートビーチの様に 相模湾が広がっていました。

 

 

 

海から戻ると 庭の敷石を渡り 母屋から家に入り 砂で汚さないようにと作られた 畳敷きの廊下の窓側に貼られた板張りを歩き 家族用スペースにある浴室に直行したそうです。

 

 

 

 

シャワーやを天井に換気機能を配備した浴室。

 

 

 

脱衣場には 海から戻った後使う足洗い場も作りました。

 

 

 

重信邸は 多くの客人を迎えるために贅を凝らした家作りをしていますが 宗光邸は 家族のスペースを広く取り 避暑のために使う家作りをし 電話室や使用人部屋等 生活動線を考慮した間取りを工夫しています。

 

 

こちらは 宗光と 先妻との間に設けた長男の廣吉 《鹿鳴館の華》と呼ばれた 後妻の亮子夫人。

亮子夫人との間にも 女児をもうけています。

この3人 本当に美男美女揃いですね~~。

 

 

 

 

宗光は 明治27年(1894年)に この別邸を構え 明治29年に病気を理由に外務大臣を辞任し ここで療養生活を送るも 翌年に他界。

その後 次男の潤吉が 古河市兵衛(古川財閥創始者)の養子になったことで 大磯別邸は 古河家へ譲渡され 現在まで 古河電工大磯寮として使われていました。

 

 

今回 見学コースに入っていなかったのですが  古河電工大磯寮の西側にあるのが 《滄浪閣》と呼ばれる旧伊藤博文邸。

誰もが知る 初代内閣総理大臣です。

 

 

滄浪閣は 敷地面積 5500坪

       洋館  瓦葺 レンガ造り2階建て 延べ面積 87坪

       和館  茅葺 木造平屋建て 延べ面積 70坪

 

 

 

 

 

 

博文は小田原に滄浪閣と呼ばれる別邸を作り 明治29年(2896年)まで過ごしていましたが 明治23年 小田原に向かう途中 大磯駅北側にあった旅館 招仙閣に宿泊した時に 大磯が気に入り 梅子夫人の転地療養を兼ね 大磯に別邸を建て 小田原の滄浪閣を引き払い 滄浪閣と名付け 明治30年には 東京から本籍を移し 本邸として住み始めました。

滄浪閣は 博文の没後 養嗣子の博邦に相続されるも 伊藤家が東京に転居する際に 李王家の李銀(りぎん)に譲渡され 李王家別邸として使われたそうです。

戦後は GHQの軍事施設として使われた後 政治家 楢橋渡に譲渡 昭和26年からは西武鉄道の所有となり 私が子供の頃は 大磯プリンスホテルの別館 高級中華料理店として使われていました。

 

 

お隣同士に住んでいた歴代総理大臣たちのツーショットのポストカード 今回の邸園巡りの記念品にいただいてきましたニコニコ

 

 

 

只今 邸園内は 改修工事の真っ最中。

 

 

 

現在は 年に数日のみ公開されている邸園ですが ガイドさんのお話しによると 旧大隈重信邸と旧陸奥宗光邸の建物は 国に寄贈され 8000坪ある敷地は 国が買い上げたそうです。

去年 明治150年を記念して 大規模な調査の後 改修整備工事が始まりましたが 工事が終了する来年夏には 明治記念大磯邸園として 通年公開が始まるそうです。

 

 

かつて 明治時代は 大物政治家や財閥たちが住んでいた大磯ですが 近年は人口が減り 高齢化した町になり ずいぶんさびれた雰囲気が漂っていましたが 来年は 大磯プリンスホテルも オリンピックのセーリング競技の選手村にもなったこともあり 大磯の町も賑わうようになりそうです。