原作教室というところに、昔通っていました。
と、さるところに書いたら、興味を持ってくださるかたがあり、具合よく資料も出てきたので書きます。
昭和50年の秋のことだったと思います。
六本木にある日本放送作家組合には、元々放送作家を養成する教室がありました。
(今もある)
ここであらたに漫画や劇画の原作を書きたい人向けの講座を開く、という記事が、新聞に載りました。
当時、大手町でOLをしていた私は早速応募して、第1期生になりました。
(入室試験もあったのだー)
高名な劇画村塾(小池一夫)よりも数年早い開講です。
このパンフレットは、第5期生用のもの。
私が卒業して、ほぼプロになった時、友人が受講すると言いだしました。
要項がほしいという彼女のために、六本木までもらいに行き、沢山もらってきた中の一冊です。
このカット、誰の絵かわかります?
あー、マイ殿ならご存知でしょう!
永島慎二(旅人くん)でーす。
ちなみにこのパンフの表紙をデザインしたのは、河島治之(エイトマンの監督)で、河島監督は教室の講師もしていらっしゃいました。
エイトマンの中の一作、私が大好きだった「決闘」を取り上げて、演出の苦心談を語ってくださった時には感涙したものです。
教室の場所をわかり易くするために、裏表紙にあった地図の拡大版を貼ります。
この「ハラビル」の一階が、教室と事務室でした。
続いて、カリキュラム。
主任講師は辻真先先生。
辻先生は速筆で有名。
教室にはいってこられて、その日の講師を紹介した後、楽屋と称していた事務室に引っ込みます。
そして、そこで執筆開始。
約一時間半の講義が終わった時には、アニメのシナリオを一本書き上げておられました。
(すご!)
講師も、辻先生の顔というか、コネで招かれたかたがほとんどだったと思います。
手塚治虫先生も現れましたが、当然遅刻。
永井豪先生は、生まれて初めての人前トークだったそうです。
私がよく覚えているのはモンキー・パンチ先生。
いえ、講義の内容は皆目で、お姿ばかり記憶に残っています。
豊田有恒先生は教室に置いてあったピアノで、やおら「宇宙戦艦ヤマト」(さらばー地球よー)を弾きだし、生徒をあ然とさせましたっけ。
原作者では、牛次郎先生の講義を覚えています。
僧形の先生、「原作も戒名も筆で書きます」と言われていました。
梶原一騎先生は講師ではなく、開校式で挨拶をしてくださっただけ。
私たちを見て、
「おう、原作者になりたい奴が、こんなにおるのかー」
と顔を歪めて笑い、皮肉っぼい言い方をされました。
ストーリー作りの秘訣は、世界名作をすべて読んで、暗記するくらいにすること。
「愛と誠」も、トルストイの『復活』のアレンジだ、と言われました。
それに先行した「朝日の恋人」については、何も言われなかったです。
モンキー・パンチ先生の当時の写真がバンフに出ていたので、明日貼りますね。