劇画・まんが原作教室 | 風媒花

風媒花

■メカデザイナー板橋克己のマネージャー。
■元・漫画原作者(週刊,月刊少年マガジン等に連載)
■昔(60年代。中学・高校時代)貸本屋さんの貸本(単行本)の原作も少し書きました。

原作教室というところに、昔通っていました。


と、さるところに書いたら、興味を持ってくださるかたがあり、具合よく資料も出てきたので書きます。



昭和50年の秋のことだったと思います。


六本木にある日本放送作家組合には、元々放送作家を養成する教室がありました。


(今もある)


ここであらたに漫画や劇画の原作を書きたい人向けの講座を開く、という記事が、新聞に載りました。



当時、大手町でOLをしていた私は早速応募して、第1期生になりました。


(入室試験もあったのだー)


高名な劇画村塾(小池一夫)よりも数年早い開講です。



このパンフレットは、第5期生用のもの。


私が卒業して、ほぼプロになった時、友人が受講すると言いだしました。


要項がほしいという彼女のために、六本木までもらいに行き、沢山もらってきた中の一冊です。





このカット、誰の絵かわかります?


あー、マイ殿ならご存知でしょう!


永島慎二(旅人くん)でーす。



ちなみにこのパンフの表紙をデザインしたのは、河島治之(エイトマンの監督)で、河島監督は教室の講師もしていらっしゃいました。


エイトマンの中の一作、私が大好きだった「決闘」を取り上げて、演出の苦心談を語ってくださった時には感涙したものです。



教室の場所をわかり易くするために、裏表紙にあった地図の拡大版を貼ります。


この「ハラビル」の一階が、教室と事務室でした。




続いて、カリキュラム。




主任講師は辻真先先生。





辻先生は速筆で有名。


教室にはいってこられて、その日の講師を紹介した後、楽屋と称していた事務室に引っ込みます。


そして、そこで執筆開始。


約一時間半の講義が終わった時には、アニメのシナリオを一本書き上げておられました。


(すご!)



講師も、辻先生の顔というか、コネで招かれたかたがほとんどだったと思います。


手塚治虫先生も現れましたが、当然遅刻。


永井豪先生は、生まれて初めての人前トークだったそうです。


私がよく覚えているのはモンキー・パンチ先生。


いえ、講義の内容は皆目で、お姿ばかり記憶に残っています。


豊田有恒先生は教室に置いてあったピアノで、やおら「宇宙戦艦ヤマト」(さらばー地球よー)を弾きだし、生徒をあ然とさせましたっけ。



原作者では、牛次郎先生の講義を覚えています。


僧形の先生、「原作も戒名も筆で書きます」と言われていました。



梶原一騎先生は講師ではなく、開校式で挨拶をしてくださっただけ。


私たちを見て、


「おう、原作者になりたい奴が、こんなにおるのかー」


と顔を歪めて笑い、皮肉っぼい言い方をされました。



ストーリー作りの秘訣は、世界名作をすべて読んで、暗記するくらいにすること。


「愛と誠」も、トルストイの『復活』のアレンジだ、と言われました。


それに先行した「朝日の恋人」については、何も言われなかったです。



モンキー・パンチ先生の当時の写真がバンフに出ていたので、明日貼りますね。