私は双極性障害のⅡ型だ。2週間の鬱期間ののち、4週間のインターバル、1週間の軽い躁状態、というサイクルを繰り返している。
鬱期間はやる気の低下はもちろん、将来に関する漠然とした不安や孤独が、ふとした瞬間にやってくる。自分のサイクルを把握するようにしてから、少しずつ鬱期間への対応も上手くなってきたように思う。という今も鬱期間中だが、週末に猛烈に泣いて死にそう死にたいとベッドでのたうち回っていたら少し元気になった。翌日ハイキング用のバッグを買ったり(数週間後にセコイア国立公園に行くので)、映画を見たり、天気が良かったのでビーチで寝っ転がっていたからかもしれない。
(おかげで真っ白かった脚を少し焼くことができた)
鬱状態というのは便秘みたいなものだなと思った。便が出ないうちは憂鬱で本当に嫌なものだけれど、すーっと出ていくとスッキリする。心のデトックスを無理やりしているのかもしれない、というのが、鬱状態を少しでもポジティブに捉えようとしている最近の私の見解だ。
何で神様は私に、一見してやっかいなこの「ギフト」を授けたもうたかについて考えるようになった。
結論から言うと、これを通して『愛すること』を学ぶためなのではないか、と今朝思った。
自分に対してもう嫌だ、と思う時がある。
それは肌の調子が悪かったり、周りと上手く溶け込めない(と感じている)時だったり、辛い時に薬を飲んでいる時だったりする。
キャパシティー、エネルギーレベルがあまり大きくないので、容量を超えると「うあぁぁぁ」と圧倒されてしまうのだ。
昔は、そんな時は自己嫌悪に陥ったり、憎めるものを手当たり次第憎んだりと、荒んだ対処しか出来なかった。
今は、そんな時でも「まぁいいじゃん」と思えるようになった。今日は100点じゃないけど、まぁいいじゃん。
愛すること。
自分を愛すること。見捨てないこと。
他人を愛すること。諦めないこと。
「他人を許すためには、自分を許さなければならない」と誰かが言った。
嫌だ嫌だ、こんな自分嫌だ。こんな周りも嫌だ、こんな世界嫌だ!とどれだけ駄々をこねても、人生は続いていく。
ゲームみたいに強制終了できるボタンは、ない。
なんでこんな面倒くさい旅に出ることにしたんだろう、と生まれる前の自分を恨みたくなる時もある。
でも生まれてしまったんだから、もうしょうがない。
生まれたからには幸せに生きたくて、そのためには自分を愛したいし、他人を愛したい。
そうやって他人と心で繋がっていくことが本当の幸せだと、本当はわかっている。
だから「愛しなさい」ということなんだろうか。
鬱状態でも。仕事が完璧に出来なくても。すぐへこたれそうになる、そんな自分でも。
時にわかってもらえなくても。ムカついても。自分と意見が違っても。そんな他人を。
鬱を通して愛を学ぼう。
そしていつの日か、鬱がなくなるように。
その時、このやっかいな『ギフト』は、本当の意味で『贈り物』になるんだろうなぁ。
He who is devoid of the power to forgive is devoid of the power to love.
人を許すことを覚え、身につけなければならない。許す力のない者には、愛する力もないのだ。
-Martin Luther King, Jr.
