自然農とイエスの山上の垂訓 | 持続可能な社会の追求

持続可能な社会の追求

1912年5月脳梗塞を患い生死の境を彷徨う。一命は取り留めたが、左半身麻痺発声障害精神障害(高次脳機能障害)と診断される
将来の夢は「エコビレッジ建設
よく読む本は
人間の進化に希望を持ちつつ、持続可能な社会の仕組みを考えています

今日は朝から曇り。
降りだしそうな天気だ。



これは、やまぼうし。実(み)は甘い。 天気は曇り。



きょうの芽の成長具合。
太陽の光で光合成が行われ、植物は成長していくが、水分も必要。
まだ芽が出て間もない時期には、晴れ時々曇り、時々雨ぐらいが丁度良い。


イエスも多少農業に関心があったのか。
山上の垂訓で農業に関する話がほんの少し出てくる。


空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 (マタイによる福音書 6:26 JA1955)

イエスの住んでいたガリラヤ地方は、ヨルダン川が流れ、結構肥沃な土地だったのか。行ったことがないので、詳しくはないが、日本に比べればはるかに植物にとって過酷な環境のように思う。

その環境でも、植物が育つことを考えれば、ある程度自然に任せるのもよし、と考えてもいいかもしれない。
少なくともイエスのその当時の認識は、自然農に近かった様にも思える。

まぁ、この聖句から自然農の正当性を導き出すのは無理があるかも知れないが、ちょっとした発見を備忘録として記しておく。


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